約56年前に入学した福崎中学校には、ユニークなクラブがありました。木彫クラブ! 先生は、佐治清千之師。先生は、若い頃は日本画を描かれていたそうですが、長男の病死を機に供養の仏像を彫ったことから、彫刻を始められたと伺っております。先生の彫刻は、殆ど独学ですが能面と仏像彫刻を得意とされ、国際的な美術展で能面が入選されたときの新聞記事を見せていただいた記憶があります。当時、能面を本職として打つ人は日本中で10人もいなかったでしょう。アマチャを入れても50人もいない状態。本職も江戸時代から続いた面打ち師の家系も明治時代に殆ど絶え、わづかに続いたのは、京都の中村直彦氏くらいと推察します。入江美法氏、北沢如意氏、鈴木慶雲氏、長沢氏春氏、石黒耕春氏、前喜最勝坊氏、深草浄春氏、堀安右衛門氏等が能の宗家や能謡の師匠の半お抱えの面打ち、あるいは面打ち講座を各地で開く等の状況の中で、先生は彫刻そのものが大好きで、我々中学生にも丁寧に教えて頂きました。

左のお多福は、狂言面の乙で兄弟子の健さんの最近の作、真ん中の翁と右の般若は私が高校生の頃のモノ。能面の歴史や作者について知りたい方の為に、昭和三年十月二十日発行、著者 横井春野、発行者 横井光春、発行所 能楽新報社の「能面史話」を電子テキストにしました。昭和初期の能面研究として貴重な書物と考え、今から30年前に古書店で見つけて以来、気にかけていました。著者のご遺族、関係者からの連絡を頂けたら幸いに存じます。

上の観音さんは、真ん中が私が大学生の頃のもの。これを彫り上げた頃から実習に追われ、大学を卒業してからは本職の歯医者の仕事や研究に追われてご無沙汰。15年前に大学時代に同じ下宿の友人が亡くなり、未亡人より供養にと頼まれて彫り上げたのが左の観音様。その後、法隆寺の九面観音を模して写真を参考に彫り上げたのが右の観音様です。頭部も九面にしたかったのですが、壇像を意識してクスノキを用いたため細かな彫刻が出来なくて、聖観音にしました。土日に暇を作ってするのでなかなかはかどりません。

小面も数面彫りましたが、彫ることより仕上げの彩色に手間取っています。胡粉と膠の分量を忘れてしまい、塗る度に色調が微妙に変化し、試行錯誤の状態です。大谷健介さんに教えてもらおー。(兄弟子の健さんは、中学以来ズート彫刻を続けられ、脱サラ後に彫刻を本職として、姫路で活躍されています。佐治清先生は100歳を越えられ、自宅で彫刻を指導する傍ら、俳画や仏画を描かれておられましたが、平成18年7月にご逝去されました。合掌)。

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