七、霜夜
 次の日は昨夕から降ったり止んだりしていた秋雨が夕方になってやっと晴れた。しかし登勢の心は晴れなかった。ソ連兵がいつ襲って来るかも知れぬという落ちつかない気分で急いだ夕食を終えると再び迎える夜の闇は悲しいものだった。小さい留里と敏夫と柳沢さんの坊やは夕食を食べ終えると同時に眠り込んでしまった。柳沢夫人と登勢は子供達を寝床に寝かせつけて食事の後片付けをしていると、いきなり二人のソ連兵士を連れてロスキーのカピタンが入って来た。逃げ場を失して立ちすくんだ登勢達の前で畳を長靴のまま踏みしめて部屋の周囲をしきりに見廻している。黒い頭髪、黒い瞳それは東洋人種のものであった。日本人によく似た体格と肌の色には、登勢達の恐怖を幾らか柔らげるものがあった。しかし言葉は酷しかった。「エタドーマ、ヤジビュー、ヤポンスキーシチャースダヴァイ………(今からこの官舎に私が住むので貴女達は出て行きなさい)。」柳沢夫人、佐々木、登勢の三人は当惑の顔を見合わせたまま声もでなかった。(今から家を出るにしても刻々と暮れて行く宵闇の迫る秋冷の戸外に住居を探す、心細さよ!)(何としても今すぐこの家を出る訳にはいかぬ。せめて今宵一夜子供達に安らかな眠りを与えてやりたい。)そんな思いが柳沢夫人と登勢に勇気を与えた。二人は一生懸命に歎願した。「今晩だけこの家に寝かせて下さい。子供達はもう眠っているのです。お願いです。」片言に身振りを混じえていったがカピタンはどう感違いしたのか登勢に向って云った。「セオドニヤベーチョラムティスピーチヤエタドーマ:……・?(今晩私とこの家で一緒に貴女は寝ますか?)登勢は慌てた。感違いされては迷惑千万!!「ニ−(否)ニ−(駄目)ヤムッシーナイエズチ(私には夫が居ます)ジウユーサンゴーリ(夫は三合里に居ます)」「エタドーマウハ、ヂハヂイチェ(ではともかく出て行って呉れ」カピタンの言葉は頑としていた。しかし登勢は思った。いくら人種が違っても国が違っても同じ人間ではないか!人情はある筈だ「ヤマーリンキイスピーチ、スマトリチェ(私の子供達を見て下さい。天使の様に眠っているのです)」登勢のおぼろげな片言のロシア語では通じなくても眠っている幼児までも足蹴にすることはないであろうと留里や敏夫達の寝ている処ヘカピタンを案内した。留里も敏夫もあどけなく眠っている。すっとカピタンの表情に柔らいだものが走った。カピタンはジンジャーと云って以前レーニングラードがゲルマン(独逸)に攻略された時に二人の幼児も妻も爆弾によって命を失ったのであった。
 じっと幼児の寝顔を見ているシンシヤーの胸を去来する亡き家族の面影がいつの間にか敏夫や留里の寝顔に重なった。暫く思案していたがカピタンは黙って静かにその場を離れた。それを待って居たかの様に間髪をいれずにカピタンの前へ柳沢夫人が柳沢主計大尉が秘蔵の品〃虎の絵の掛軸〃を差し出した。「おお!」それは作者の名が判らぬまでも絵筆の運びに気塊がこもって虎は生きた如くに描かれていた。カピタンは目を輝やかして、虎の絵を巻いて小脇に抱いた。カピタンは一夜待つ事に心を決したのであった。そして腕時計を示しながら登勢に向って云った。「ザフトラ、ウートラ、シュースチチッソ!・・・・(明朝六時迄にこの家を出て行って呉れ私は六時に来るから)」「ダーグーポニマユー(はいわかりました)。」登勢は安堵の思いに大きく息を吸った。その登勢に背を向け二人のソ連兵士を引率して長靴の泥で畳を汚しながらカピタンシンシャーは出て行った。これがカピタンシンシャーと登勢との始めての出会いであった。
登勢達はやれやれと胸をなでおろしたものの、ともかく転宅の準備をしなければならなかった。登勢は思った。帰国の時期が定まらぬ以上、内地の土を自分の足でふむ迄は一切の流言(十月中旬までに秋乙の官舎の日本人を帰国させソ連軍の家族が来るという)などにまどわされてはならぬ。
これから向う寒さと来年二月の予定である出産を思えば一日も早く帰りたい。どうしてでも今月中に帰りたいがー。海がある!海を渡る方法が無ければ帰りたくても帰れないのだ。
瞼に浮かぶ姫路城の優雅な七層の楼を確実にこの眼で見る迄は安堵する事は出来ぬのだ。彼女は子供のオーバー、履物、肌着、おくるみ、出産に必要な品々は全部古い風呂敷に包みこんだ。命をつなぐ為に食糧品は愈々帰国の時迄大切にしなければならぬ。手持ちの米に砂糖、塩(岩塩)少なくなった罐詰類、それにメタボリン錠剤、ミルク、内地から持って来た薬品も、以前に盗難を防ぐ為に敏夫の胴着に縫い込んでかくしている内地円のおさつ、行李には一杯に衣類をつめた。衣類は食糧にかえたり出来るので持てるだけ運び出さねばならず、用意が終ったのは一時を廻っていた。 
 登勢と柳沢夫人が一睡りして眼をさましたのはもう五時前であった。外はまだ暗く秋冷の地面には霜柱がたっていた。ふめばサクサクとなる地面には薄く霜おいて昨夜の冷えの酷しさが思われた。今更の様に霜夜の野宿から救われた事を登勢は喜んだ。しかし五時半になれば荷物は一応全部外へ運び出さねばならなかった。
佐々木元兵長は食堂前の広場を越えて西側に空官舎を探して来た。二軒一棟のぼろ官舎の東側にはもう十世帯程の旧二五〇部隊の家族が住んでいた。西側は畳も床板も地元民に盗まれたぼろぼろの官舎であったがともかくそこへ行く事にした。東隣の人々も一週間程前に以前登勢がトランクを盗られた空官舎を又もや逐い立てられ引越して来て居るのであった。
空官舎にいち早く荷物を運び込んでしまわぬとならぬので佐々木は大きい荷物を運び登勢も柳沢夫人も手にあう品物から先に官舎の外の北側の道路に運び出した。大山部隊長夫人の処の古角元上等兵や山中副官夫人の処の谷口元上等兵が手伝いに駈けつけて来て大きな物、重い物を先に運んで行った。米を古角元上等兵が、もう一つのふとん袋を谷口元上等兵が運んで行った。その中にもう六時になったのか銃を持ったソ連兵士が三人来て誰も官舎に入れぬ様にと官舎の入口をかためてしまった。その頃から地元民が引っ越しと見て霧の立ちこめた朝の冷気の中に現われはじめた。彼等は道路に積んである荷物の中から目ぼしい物を引き抜く為に、霧を隠れみのとして現われたのであった。
 少しずつ明け初めた秋乙は充分に眠りから醒め切らず、薄暗い空気に霧がどっしりと覆いかぶさって人の姿も近く迄来ないと判然としない。泥坊はそれを良い事にしていた。
運ぶ事に気をとられていた登勢がソ連兵士の大きな声で振り向くとオモニーと男の人が登勢の荷物を持って逃げて行くところであった。オモニーは古角元上等兵が追い掛けると荷物を返して逃げて行ったが、他の男一人はもう追付くことが出来ず、布團袋をかついだまま霧の彼方へと逃げて行ってしまった。どうにか荷物を運び終ったが床が無いので背中の留里をおろすことも出来ず、おんぶしたまま登勢は〃此処が明日からの我が家〃と思って整理を始めた。
六帖の間に柳沢夫人と同居する事にして佐々木はせっせと残っている板塀をはずして来て床を張り始めた。床が張れた頃、食堂前の広場に捨ててあった4枚の破れ畳の台を拾って来て床の上に敷いた。たたみの表がないので、子供達は足を藁に引掛けて体中ワラにまみれて転び廻っている。これでは仕方がないのでその上に毛布を敷きつめた。ペチカの前二帖は藁の台がないので、板の上に毛布を敷くだけで辛棒する事にして一応住居が出来上っ一た。隣室の四帖半は橋口夫人一家が住んでいた。台所の二帖には上敷領夫人一家が、六帖のオンドル(土の床で下から燃やして室の床を暖房する)の部屋には向島夫人と坂元夫人一家とが住んでいた。どの家族も三度目の住居と定めた空官舎を四、五日前に又追い出されて再々度の移転であった。それも一刻を争う様に追立てられて荷物は殆んど置き去りだった。初回の転宅をしたのは登勢一家だけであった。
それにカピタンシンシャーのはからいで一夜の猶予が持てた事で必要な荷物の殆んどを運ぶ事が出来たのだった。しかし引越しの際に盗られた物やうまく運べない物もあって荷物が非常に少なくなっているのは仕方のない事だった。登勢には子供の肌着やおしめや末だ土のつかない敏夫の運動靴等の必要品が残っている事が救いであった。それに和服類が残っていて当分の売り食いに困らないと云う事が大変気丈夫に思えた。
 内地へ帰る日迄雨風を凌ぎ霜夜の寒さから子供を守れる住居が出来たのは登勢にとって非常に感謝であった。畳とは名ばかりの藁が剥き出しの畳、新聞紙や雑紙でようやく破れを蓋した襖、ガタピシのちぐはぐな建具、板片を打ちつけてガラスの破損を補ったガラス戸、何一つ満足な物は無い迄も、彼女には此の場合金殿玉棲にもまさる有難い城だったのだ。転宅の翌々日佐々木は樗木さんを連れて来た。樗木は佐々木の知人で年令より大分老けて見えた。見かけは50才位にも見えたが実際はそんなにもなっていなかった。彼は以前北鮮の電機会社に務めていたが、家族が郷里の鹿児島に居るので内地へ帰りたかった。居なくなった深田元上等兵の代りに柳沢夫人の世帯に籍をおいて帰国する予定で登勢達のぼろ官舎に同居する事になった。
 佐々木は引越以来押入れの上段を自分の個室としてそこに寝ていた。彼は日本兵狩りで拉致されてから恐怖が心に染みついてソ連兵を見るだけで体がこまかく震えて来るのだった。ソ連に連行されて使役に使われるという事柄が頭を去らないのだった。
ソ連側が日本人を使役に働かせたがっている事は明確であった。殊に日本軍人の様に上官の命令に忠実で働き者で、骨惜しみしないで上官は命令する事だけで事が足りるのだから人手不足のソ連にとっては有難く、重宝な上に頭が良くて器用と来ているので、一人の日本軍人も逃がしたくなかった。その上捕虜という名の下に無料なのであった。唯仕事の代償として人間の条件を満たすにぎりぎりの状態を保つのが精一杯の食糧を給与するだけで良いのだから………。
今や日本兵は労働力というより物資に他ならなかった。故に無理に逃亡する者は遠慮会釈なく射殺された。又運悪く捕まれば連れ戻して他の兵士への見せしめとして友人達の目前で射殺された。そして逃亡兵を出した部隊の班には特に重労働が課せられるのだった。
 ソ連軍が八月に平壌に入壌して来てから一ケ月半、今はもうその頃の跣、裸では無かったが衣服も食糧も充分とは云えなかった。
したがって捕虜への食事も非常に僅かであった。日光をふんだんに浴びて育成されたビタミンの豊富な新鮮で水々しい野菜とか果物は日本兵の口にはなかなか入らなかった。北鮮の特産物の林檎が時たま病弱者用に一片だけ食事に添加されて与えられるのが珍らしい事なのだった。それに塩は不足勝で普段は少しの岩塩が貰えるだけであった。その為に段々と栄養失調に陥いるものが増して来たが、平熱であれば病気ではないとして高熱を出してたおれる迄は、ノルマが課せられるのだった。異国で捕われの身となった将兵の総べてに肉親があり、故郷があり、又或る者には恋しい人や残して来た妻子があってみれば、たとえ危険が伴っても帰郷の念やるかたないものがあった。様々のソ連側のおどしや、厳重な見張りにもかかわらず、逃亡兵は後をたたなかったので、ソ連軍による日本兵の逃亡者狩が酷しく行われ、召集解除によって家族に付された者まで、軍人として三合里収容所へ拉致されて行った。佐々木はソ連兵に拉致されて以来ロスキーの顔を見るのも恐ろしかった。彼は殆んど昼も押入れに籠ってソ連兵に会うのを避けていた。
 彼はその日は朝起ぎてからも昨夜の夢が気になって仕方が無かった。夢は故里の五月であった。故里の山畑で佐々木はお茶を摘んでいた。その辺一帯から宇治にかけてお茶の畑が多かった。すぐ目の下を瀬田川がキラキラ輝やきながら流れているのだった。川向うには菜の花が一杯咲いて麦畑からピイチクピイチタ雲雀が飛び上っていた。
 明るい五月の光の中を若葉の香が一面に満ちて風が薫りながら彼の頬をなでて過ぎた。彼は〃故郷は良いなー〃と思いながらお茶の新芽をせっせと摘んだ。そして一杯になったカゴを背に家路へと向った。彼が家に近づくにつれ空気が淀んで来た。只今帰りました。」彼が一歩家に足を踏み込んだ途端、あたりは薄暗くなって親爺さんの声がした。
「遅いな。何故もっとはよう帰らん?。早う帰って来い。遅い!遅い!遅いな。」「はよう帰りとうても帰れまへんどした。」「いや、遅い、遅いな!」そこで佐々木は眼が醒めたのだった。夢が醒めた後になっても父親の不機嫌な声が「遅いな!」と耳について離れないのであった。佐々木は思った。いずれ女、子供の内地への帰国は実現するだろうが自分の様な屈強な男はソ連軍の使役に残されるに違いない。先日上杉元一等兵が云って居た脱走を実行するべきだろうか?。軍医殿一家を北鮮に残して帰っても良いだろうか?。帰国の際には男は全部残留させられるのだ。それだったら同じではないか?。もう来週にでもソ連側から帰国の話が出るだろう。それは婦人、子供だけで埠頭で自分は残されるだろう。
帰ろうか?逃亡か脱走か、否残留か使役か?”
その時、隣の官舎の上杉元一等兵が現われた。「佐々木さん!お早よう。谷口さんと河野さん愈々脱走しましたね。」上杉は人に聞かれるとまずいと目くばせをして佐々木を物置の陰にさそった。しかしそれでも佐々木はまだ迷っていた。谷口や河野に誘われた時もふんぎりがっかなかったのだが、今もなお身重な岡田軍医の登勢夫人や小さな児達を残して逃げ帰る事にためらいがあった。
「じゃあ今日正午過に、こっちへ手引をするという地元民が来るという事だから。」と上杉は佐々木の決意をうながして帰って行った。
 朝飯を食べている時に柳沢夫人が「南田中尉の庭の河野さんも山中副官の處の谷口さんも居なくなったそうね。」と云った。佐々木と樗木は思わず顔を見合わせた。瞬間登勢は「ハッ」と気づいた。同時に登勢は自分の頬が硬め張るのを感じて面を伏せた。柳沢夫人は丁度反対側を向いていたので何も知らずに御飯をよそいながら云った。「向う側の官舎にも上の官舎にもロシヤマダムや子供が沢山。一昨日も昨日も引越して来たわよ。愈々私達は内地へ帰れると云うのに男の人が居なくなっちゃうと困るわねえ。」それには誰も答えず樗木も佐々木も登勢も三人三様に銘々の思惟を廻ぐらせていた。樗木は思案していた。〃誘われて逃亡しても自分の体力では逃げきる事が出来るであろうか?不惑を過ぎた身でまして、佐々木の様に出仕事や畑仕事で鍛えた脚や腰ではないのだ。家族の一員になりすまして帰国する方が安全なのではないか?それに柳沢夫人が衣服を持たない自分に主人の大島を「背丈が同じだから遠慮なく着て下さい。」と差し出した荒野に燈火を見出した様な信頼しきった態度を振り切る事は出来ない。佐々木が逃亡すれば自分だけでも残留せねばならないのでは無いだろうか?。一方の佐々木の頭の中では二つの意味の違う言葉が渦巻いていた。〃残留して帰国の時期を待とう。残留!待機!いやそれでは遅いのだ。越境するのだ。逃亡だ!脱走だ!〃又登勢は登勢で考え込んでいた。〃佐々木さんがソ連軍の日本兵狩や日本人男性狩で拉致されたり、帰国の際、埠頭で連行されるのを見捨て、私と子供だけが内地へ引揚げるのなら、今逃げたいという人を私に引止める権利は無い筈だ。
もし私達だけが佐々木さんを残して帰った場合には後悔と慚愧の念が私の半生につきまとうだろう。佐々木さんは使用人でもなければ従卒でもない。軍隊という旧体制の封建制を剥出しにしたに過ぎないのだ。依存するのが当然と甘えて居る事は出来ない。
私は自分の足で歩き自分の肩に荷物を荷ない、自分の腕で子供を抱けば良いのだ。小説〃路傍の石〃の喜一が、だるまから手足を出した様に自分の力で立つのだ。佐々木さんを犠牲にする事はない。そろそろ治安がついて、ソ連兵の〃マダムダワイ(女がほしい)〃が鎮まった現今(ソ連へ連行、そして使役)の恐怖、心にとりつかれた様な佐々木さんを引き止めて置く事は余り勝手すぎないだろうか?。逃亡の可不可は佐々木さんの自由な判断にまかすべきだ。それに水くさいと云われても、私には夫の持物(衣服、食器)を他の人に「どうぞ」と使わせる気になれないのだ〃
 その時、佐々木が「御馳走様!」と云って立ち上った。彼は樗木の方をちらっと見て、部屋を出て行った。樗木も後を追う様に外へ出て行った。
 食後の片付けを終えた登勢が窓辺でガラス戸越しに、すぐ真上にあたる北側の官舎(ロシヤマダムやその子供達が一昨日引越して来た官舎)を見上げて居ると、「奥さん!」と云って佐々木が近づいて来た。その思いつめた顔を見た瞬間、登勢は決断する時の来た事を直感した。佐々木は云いにくそうにしながら、今朝の夢の話から始めて、現地民で南鮮へ下る手引きをしてくれる人がある事を語った。そして「奥さん達は帰りはっても私は残留させられますわ」と溜息混りに云うのだった。そして「今なら脱走は成功すると思いますわ」と自信ありげに云った。登勢にとっては敗戦直後の混乱期(丸ニケ月の間)を互に援けあって生死を共にして来た戦友の様な相手を失うのは淋しく心細い事であった。けれども夫でもない肉親でもない相手に、それもシベリヤ抑留を極度に恐れる人に「帰国の日まで一緒に居て頂戴、帰る時に埠頭で別れて残留させられるのは私の知らぬ事」と都合の良い事をたのむ事は出来なかった。登勢は肩で大きく息を吸うと「私への義理で迷って居られるのなら御心配は無用ですわ。」と一息に云った。一瞬安堵の思いが佐々木の顔を柔げた。「奥さん!済みまへん!勘忍しとおくれやす!」深々と頭を下げた佐々木の眼に一滴光るものがあった。緊張で息苦しさを感じた彼は、落ち着かぬ足どりで押し入れに向った。僅かの持物を整理して無一物の樗木に残して後を頼もうと思ったのであった。
翌朝、佐々木は見送るという登勢に「後髪を引かれるから」と見送りを断り、内地での再会を約して別れを告げた。
樗木と登勢以外は未だ誰も眠りから曜めて居なかった。官舎を足音を忍んで抜け出した彼は、上杉元一等兵と共に、静かに白みそめた秋乙を後にしたのだった。佐々木は逃亡が生やさしい業とは思っていなかった。けれども彼は明治以来35年間の日韓併合によって地元民が受けた心の傷手の大きさを知らなかった。彼が考えていた以上に地元民の心は冷え切っていた。
彼等が秋乙を出発したその翌日には、もう衣服を地元民に身ぐるみ剥ぎ取られ、代りに二人共ボロのうすい夏のシャツ一枚をわずか身につけているだけになっていた。隠し持っていたお金はとりあげられ、登勢が呉れた心儘しの餓別のピンク色をした100円(卵が一ケニ円になっていた頃)の軍票もすっかり盗られていた。一夜の宿を頼んでも関わりあいを恐れて一軒として泊めて呉れる家もなく、ソ連軍の警備兵をさけて、山道を選んだ二人は、黄州から東の方へと道を外れて歩いていた。寒さの酷しい北鮮では、樹木は地元民が燃料に伐採するので大きく育っ暇とてなく、灌木と雑木の禿山には、たまに生えている松の木の上で梟が不気味に「ホウ!ホウ!」と鳴いた。
岩蔭に風を避けても肌をさす霜夜の冷えは身も凍る程であった。二人は素肌と素肌をピッタリ合わせでしっかり抱き合う事で暖を採るしか方法がなく上杉(23才)の若い血がかろうじて佐々木を凍死から救って呉れるのだった。思えば秋乙の生活は、まだ天国であった。しかし帰心矢の如しというが矢は既に弦を離れて居るのだった。佐々木と上杉の二人は水を飲んで飢に耐えながら、南鮮へ南鮮へと人目を忍ぶ霜夜の野宿を重ねて歩いて行くのだった。

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