一、終戦
登勢は掃き終った後のすがすがしい玄関に打水をして、色とりどりに咲き乱れた百日草の花を飾り終えると、じっとりと汗ばんだ肌にも涼風の入りこむ心持ちして、今しがた活けたばかりの草花を悦惚として眺めていた。
荒々しい靴音がして、はっと我に返った登勢はそこに不機嫌な夫の顔を見た。
「あら〃お帰りなさいませ。」「もうー」「・……。」「大層今日は早かったのね。」何もいわずに靴を脱ぎすてるとそのま、さっさと奥へ入って行く夫の後を追って行きながら登勢はうきうきしていた。ギラギラと照りつける太陽の下をテクッた後の汗ばんだ神経の苛立ちとのみ夫の不機嫌を解して「暑かったでしょう!!。」と上衣を受け取ろろとした彼女の頭上に突然落雷した。
「馬鹿野郎!。」あっけにとられたかたちで登勢はまじまじと夫の顔を見つめていた。「花など飾りやがって! そんな花があれば佛壇にでも立てておけ!。」「そう、でもどうしてそんなにお怒りになるの?。」「うんお前は何も知らないんだな。」急に憐欄の情が夫の顔にひらめいて自分にとも登勢にともつかぬ調子で自嘲的に投げつけた様に云った。
「おい!。」「無条件降伏したのだぞ!。」「えっ!。」「何処が!。」「どこが?。」「日本がじや!。」
登勢は自分の耳を疑った。すーと頭から血の気が引いて無意識にひらっふらっと勝手口から戸外に出た。そこには丹精して作った百日草の花が花壇一ぱいに美しく咲き誇っていた。
しかし先程まであれほど強烈に照りつけていた日光は夕暮れの疲労にみちた光に変っていた。
「あゝ日本は敗れたのだ。」「御国は敗れたのだ。」茫然として登勢はいつまでもいつまでも衰えた夕日の影をながく尾に引いて立ちつくしていた。流れおちる頬の涙をぬぐおうともせずに………。
翌朝
登勢は主人を隊へ送り出した後で子供の相手をしながら掃除をする気にもなれず取り散らした座敷の真中に座したまま、自分の精神が何処かへ持ち去られた様な空虚さをあつかいかねていた。彼女は二人の幼い者たちの目が母親の何か異常さに無言のまま、吸い寄せられている痛い様な凝視を感じつつこの幼い罪なき者にこれから負わされるであろう負担に対して不安とも憐憫ともつかぬ感情が荒々しく波打って来るのだった。
「おかあちゃんどうしたの?。」「いや何でもないのよ。母ちやんが馬鹿なのよ。本当に馬鹿よ。」「あのね、おかあちゃん、僕の防空帽子もっとよく縫いなおしてよね。」「留里ちゃんのもよ!。」「あー、あー、あー、だけどもう必要なくなったのよ。」あの苛烈を極めた空襲が終ったのだ。あんなに欲していた平和が思いもかけぬ姿をして現われたのだ。
彼女の描いていた平和は貧しくとも芳わしい栄光に包まれた輝かしい平和の筈であった。
こんなみじめな敗戦の平和をば考えた事もなかった。小さな狭い国土の日本!!
寒帯から熱帯迄、東北から南西に長い日本の領土〃 そこに育まれた大和民族は寒さにも暑さにも強く世界全土に適応出来る黄色人種である。そして徳川三百年の鎖国によって純粋に保たれた民俗文化、国学や武士道によって培われた清廉豪気の気風、儒学による敬神崇祖の念に厚い民族!、狭い国土と資源の不足が必然的にもたらした工夫好きな勤勉実直な国民性、機械文化の進んだ西洋文明と精神文化の高い東洋文明を合わせて理解出来る民族!。その民族によってこそ東洋の平和がひいては世界の平和が統べられると、信じていたのだった。
その輝かしい平和を念じて、昨日まで「東洋平和の為ならばー。何んの命が惜しかろう!。」と歌って来たのではないか、戦況も世界の状勢も何も知らずに!!。そして何も知らされずに、「こんな事ってあるだろうか?こんな事がー。」登勢は昨日までの張りつめていた意識が、混沌として全身から気力が抜けてしまった状態にあった。
昼過ぎに夫の岡田軍医は帰宅した。
「風呂で浴びようか。」「はい。」「お父ちゃん!。お父ちやんと一緒にはいる。」まつわりつく様にして敏夫と1才八ケ月の留里ちゃんが浴室へ駈け込んで行く。その可愛ゆい後姿におぼえず微笑まされながら、登勢が夕飯の仕度をしている処へ「御免下さい。」と物静かな声がして、えび茶色に紫紺の麻葉模様の上衣、揃いのモンペをはいた山中副官の夫人が見えた。
「町に暴動が起きているそうですから注意して下さい。」「まあお忙しい中を御苦労様でした一体どうなるのでしょうね。」「本当にこの先どうなる事でしようねえ。」
近視の夫人は眼鏡の奥の瞳に不安のいろを湛えて「失礼しました。御免下さいませ。」と砂礫のころころ道を静かに帰って行った。
まもなくささやかな夕飯が始まった時だった。「ざっざっざっざっ。」軍靴が砂礫を飛ばして聞こえた。
「当番人ります。」の声と共に玄関に福岡二等兵が現われた。
「只今、平壌市内に、約二千人余りの暴徒が、暴動を起こし、平壌神社が焼打にあい、神主は自刃の報が入りましたので全員緊急召集であります。なおトラックが営兵所前に待っています。終り」。「御苦労様。」の声と共に夕食をかきこむと、もう夫は立っていた。
静かにカバンを開くと、注射器をとり出して、立った儘手早くB1 5mlを皮下に注射すると、「お前達もB1をさしておけ、もう最後になるかも知れん、後をたのんだぞ。」
「はい。」ピストルを帯びて、軍刀を掴んだまま、靴をはく間ももどかしげに、駆足で走り出た夫の靴音を聞きつつ、登勢は心に叫んでいた。
「大丈夫です。子供達の事は確かに引受けました。」
母の自覚が強く意識をとりもどして来るのだった。
やがて子供達の夕食を終えて戸外に出ると、官舎の婦人達が五、六人食堂前の広場に集まっているのが見えた。
「奥さん!。」「いらっしゃいよ!!。」柳沢夫人が声をかけた。
「ええ。」登勢は緊張からさめぬ昂奮した心臓の動きを感じつつ、静かに家庭菜園の細いあぜをわけて、皆の方へと歩んで行った。
皆誰もかも涙に洗われたような顔を、不安げに曇らせていた。鹿児島生れの橋口夫人が一体どうなるのねえ、こんな事ってあるもんですか!今更になって、無条件降伏もあるものね。○人に馬鹿にされる位の事は、判っちょるよ。今に暴徒が増えるよ。この辺まで来ればもう、女や子供の力ではどうなる事かねえ。私達みたいに七年以上も朝鮮に居る者は、内地へ帰ったとて、どうにもならんのに外地に居る者が一番つまらぬわね。今まで世界に誇っていた歴史も、なにもこれでめちゃめちゃよ。皆!これでいいの?ああ!! 残念な事!。」
「いっそ!!空襲の時に、一思いに死んだ方が良かったわ。どうして最後の一兵まで戦わんかったのでしょう。アッツ島や特攻隊の人々に何と言って、お詫びが出来るのね!。」
まるであたりに居る者迄はじき飛ばされそうな勢であった。橋口夫人は涙に埋まった様な顔を上げて皆をにらみ廻す様にして、頭を振り振り地だんだ踏んでいるのだった。後を柳沢夫人が引き取った。「うちの主人だって昨夜はとっても昂奮して寝ないのよ。軍刀を抱いたま、離さないのだもの、もうおっかなくって寝られやしなかったわ。「俺は十八の時から志願して三十年御奉公第一に務めて来たのに、一生の苦労が水泡に帰しちゃった。」といって私にくってかかるのよ。」「一体何の為に俺は御国につとめて来たのか?俺は本当に軍隊だけの人間だったのだよ。俺の人生なんて軍隊なしにありゃしねえんだから!。」って大の男が軍刀を抱いて泣いているのよ。私が黙っているものだからねえ、「おい幸子、おい栄子!。」って子供にくどいているのよ。私も遂々一睡も出来なくて今日は頭痛がしてしょうがないわ。」
柳沢大尉は経理主任として真面目な堅人でとおって居た。二等卒から務めあげた人だけに、兵科の事には委しく厳格な人だったが、生来は磊落な淡白な性格の持主であった。家庭は一男(一才九ヶ月)(留里一才八ケ月と同じであった)二女(長女の幸子小学校四年生、次女栄子小学校二年生)の明るい声の満ちた家だった。
「でもねえ、私は空襲が終って有難いと思うわ、産後二日目に、赤ん坊を抱いて防空壕へ入っていた時の事を思えば泣きたくなる程だったわ。三人とも子供が小さいでしょう。主人は居ないし、子供は外に出て行こう、出て行こうとするしね、暗くてむんむん暑苦しい壕の中でおしかぶさる様な死の恐怖を感じていた気分なんて本当に情なかったわ。でもこんな馬鹿げた戦争をどうして始めたのでしょうね。」
そういってはっと溜息をついたのは、御主人の北野中尉が野戦部隊の中隊長として南鮮へ出動された後で出産された北野夫人だった。
登勢はその時、大東亜戦争に突入直前の米国が行った資産凍結!各国の日本に対する経済封鎖!!中野正剛氏の演説会での公憤!等々等、ちらっと様々の事柄が、頭をかすめた。
「戦争に負けて、これから日本は一体どうなるのでしょうね。」
上敷領夫人がつぶやくように溜息をついた。
「本当にねえ〃。」
登勢はこよなく祖国を愛していた。
小学校三学年の国語読本の巻頭に、「大日本」と言う詩がのっていて新学期の始めに、よく高らかに暗誦したものであったが…・-、それにも「大日本、大日本、すめら御国の大君は、我等国民九千万を我が子の如くおぼしめされる」と〃義は君臣で情は父子〃という世界に類のない国体が謳歌してあった。
神代このかた一度も他国に侵略された事のない、誇りに満ちた国!、二千六百余年の間連綿と続いている皇統や忠孝の二字に貫ぬかれたお国柄は、如何なるのであろうか。敗戦によって日本が植民地や属国にされる心配は無いのであろうか。
登勢だけでなく夫人達の殆んど不安と失意の中に在りながら、日本の行末を心配して、一瞬沈黙が皆を支配した。その時、「ぶーぶー。ぶ-ぶー。」という警笛と共に凱旋将軍の様な勢で、トラックが走って来た。
トラックが部隊長官舎前の広場に止まると、一番に柳沢大尉が、続いて山中副官が、そして次々と元気に満ちた顔が下りたった。
「あら!!皆帰られたわ。」婦人達は皆ほっと活路を開いたような顔になって各自の官舎へと向った。
登勢は途中柳沢大尉に出会った。
彼はいつもの磊落なバスで、「やあ、奥さん。心配しなくてもいいですよ。まだまだ馬鹿になんかされるもんですか。すっかり暴徒は治まっちゃいましたよ。」と言って大きく呼吸しつつ昨夜の欝憤が幾分か発散した様な表情で歩んで行った。
その夜。婦人会の集会があった。
すっかり夜のとばりに閉ざされた頃婦人達は部隊長官舎前の広場に集まった。
すぐ前の山にうがたれた横穴式の防空壕が不気味に三つの入口を見せている前で、皆は声もなく並んで居た。
薄暗い懐中電燈の光に照らされて部隊長と副官の顔が見られた。痩身な部隊長の沈痛な面差が会員の方へ向けられて静かな声で、「この度この様な思いがけない結果で終戦となりました。あちらやこちらで自刃の報を聞きます。本日も○○曹長夫人が一首の辞世を残して御主人の後をおって自害されました。今の場合その是非論は後にまわして、皆様はどうか強く生きて頂きたいのであります。一時の感情に駆られる事なく、恥をもしのび自己を殺して故国の再建の為に歩んで頂きたいのであります。その中に帰国の命令が出ると思いますからその用意をしておいて下さい。けれども今度の帰国は決して大名行列ではない。勿論、物見遊山の旅でもない。落武者の旅である事を覚悟しておいて下さい。汽車は貨車が用意され、特に病人子供には有蓋車が用意されていますから、そのつもりですぐに準備をすすめて下さい。委しい話は山中副官よりして頂きます。終り。」
つゞいて山中副官より、細部に渉って荷物の作り方から食糧の事に.至るまで話があった。
召集になる以前は八百屋さんであったという副官はでっぷりとした商人によく見かける饒舌家タイプの持主だった。
したがって大山中佐の痩ぎすな長身や無口の性格とは奇妙な対象をなしていたが誰一人笑う者もなく、却ってこの場合悲壮な印象を与えた。副官の静かな口舌が陰にこもって丸で墓場にでもふみ込んだ様な静寂と鬼気があたりにこめているのだった。おしかぶさる様な山肌からも、ぽっかりと口をあいた岩穴からも底知れぬ冷気が伝わってくる様だった。「皆様御苦労様でした。今日はこれで。」という大山部隊長夫人の挨拶でやっと散会になった。皆は逃れる様に星一つない闇路をさぐりさぐり各自の官舎へと帰った。
翌十七日、主人が部隊へ出勤した後、登勢は衣類の整理をして居た。「奥様、いらっしゃる?。」声がして出て見ると、楠本夫人であった。「いつも敏夫がお邪魔をして相済みません。」「奥様に一寸御相談があって!。」「まあどうぞお入りになって下さい。」登勢は思いつめた楠本夫人の顔を見て夫人を招じ入れた。
楠本夫人は全で日本人形の様な色白の、女優で言えば山本富士子によく似た素敵な美人であった。お似合の御夫婦で、御主人の楠本少佐は陸士出身の颯爽たる偉大夫であった。少佐との生活は末だ一年そこそこの蜜月の状態で残念な事には子供がなかった。
楠本少佐が南鮮へ出動された後は独りひっそりと暮して居られたが、敏夫を何時も可愛
がってまるで小さい弟の様にしてよくめんどうを見て貰っていた。
「こんな状態になったので私、南鮮へ行こうかと思うのですが。」「独りでですか?。」「ええ。」
登勢はまじまじと美しい夫人の顔を見つめた。そこには夫の安否を気遣う張りつめた若い妻の顔があった。
登勢は口には出さなかったが、昨日二五0部隊でも若い独身将校達から〃切り死〃説が出て殆んど賛成に一致しかけたとか、南鮮の斉洲島附近では激しく戦っているという噂を聞いていたので何としてでも夫人を留めたいと思った。「危険ですわ!どうにか平壌市内の治安はついたらしいですが、それも〃暴徒が鎮圧された〃というだけですから奥様が独りで行かれる事は大変危険です。思い止まられて私達と一緒に内地へ帰られないですか?一緒に帰りましょう!。」「私は平壌へ行って見て汽車に乗れれば南鮮へ行きたいと思うのです。ねえ、奥様〃親子は一世。夫婦は二世〃というでしょう。主人の生死も確かめたいし、若しかの時は独りで生きているよりは自刃してどこどこ迄も一緒にと言う気です。昨夜のお話の後だし、他の奥様方に知れると、「出動した夫の後を慕って行くとはー。」「軍人の妻が。」という非難を受けるでしょうけれど---。私は〃夫婦は二世〃という契りに忠実でありたいのです。」楠本夫人の目には涙が宿っていた。登勢はその涙に夫に総てをかけた一途な女心を見る思いがした。「そこまで奥様が思われるなら反対致しませんわ。」「今から出来るだけ連絡をつけて貰って明朝出発しますわ。皆様に知られたくないから朝早くこっそり発ちます。だから決して送らないで下さいね。三日たっても帰って来なければ成功です。無事に南鮮へ行ったと思って下さいね。」「奥様どうか命を御大切にね。御成功を祈って居ますよ。」「お陰で決心がついて元気が出ました。奥様もお元気でね。」登勢と楠本夫人は互いに手を取り堅い握手に気持を托した。二人共言わず語らずに、これが今生の別れとなる事が胸一杯に広がって来るのだった。何か言えばおえつになりそうで二人の上に長いようで短い無言の数分が過ぎた。………
「さようなら!」「さようなら!」「敏夫ちゃん!留里ちゃん!さようなら!」
挨拶も短く別れを告げて楠本夫人は自分の官舎へと帰って行った。
朝まだき東の空が静かに白んで来た頃!北側の山で「カッコー」「カッコー」と鳴く鳥の声を聞きながら楠本夫人は誰にも知らさずに秋乙の官舎を出た。
前日の午後にやっと楠本少佐と連絡がとれたので南鮮の太田へ向って、心は弾んでいた。主人が生きていることが判った今は、荷物は問題でなかった。「身体一つあれば」という夫人の身を案じて、官舎付の芦田上等兵は、前日作った小さな梱包を持って夫人の後から平壌駅迄送って行く事にした。秋乙から平壌へは山を越えるのが一番の近道であった。
戦争が終った現在、山には監視の兵士の姿もなく、石ころの多い赤土の露出した山道には処々に生えた茅草や大ばこの葉が朝露に光っていた。閑古鳥の鳴声があたりの静寂を破って聞こえる以外は、深閑として大地で起っている世紀の大変遷も未来永劫に続くであろう生きる為の様々の葛藤にも、そっぽを向いて山は無気味に静まり返っていた。
楠本夫人は三角巾で頭髪を包み、モンペに運動靴をはいて、背には三食分のおにぎりと飯台に一升の米と当座の身の廻り品を入れたリュックを担って水筒を肩からかけていた。夫人は草露にモンペの裾を濡らしながら足早に歩を運んで行くのだった。淡い鼠色に濃紺とえび茶のこまかい縦縞模様の渉い塩沢お石の上衣に揃いのモンペをはいていたが、地味な装いの下には却って二十才に未たない彼女の若さが芳うようだった。
芦田上等兵は、(この博多人形のように美しい夫人を何としてでも南鮮の少佐殿の元まで無事にお送り致さねば!)と任務に忠実である事以上に気負って歩いて行った。
山を下って平壌の町へ出ると、街はひどく混雑していた。整然と日本軍の治安の下にあった町は、変貌しつつあった。たどりついた駅頭は混乱に混乱を重ねていた。
八月九日、ソ連は参戦と同時に、手薄な国境を突破した。北満になだれこんだソ連軍は怒涛の進撃をして終戦と共に迅速な進駐を開始して少数ではあるが、すでに十六日の夜には平壌に到着していた。
大部隊を続々と繰込む為に、明後日には全列車が止るという噂が噂を呼んで駅の構内は日本語と朝鮮語が飛び交いニンニクのきぶい程強い匂いと暑気の中で、人間が蚕動している有様であった。
切符は手に入れたもの、、列車に乗れない人々は列をなし、喧嘩さわぎがホームの彼方、此方で起っていた。
人波をかき分けがき分けて芦田上等兵が列車の窓から無理やりに夫人と荷物を押し込んだのは正午に近かった。
「ごとり。」「ごとり。」
二つ大きく揺れて南鮮行きの列車は暑気に当てられた牛が、重い荷物を引く如く動き始めた。
楠本夫人は、激しく燃える思慕を胸に一路太田へと向うのであった。