十二、新月
 暖かい日が続いた後、寒さが又戻って、旧正月の新月の日が近づいていた。寒さの為か下腹部が硬く固まって、出産の日が予定日(二月中旬)より早く近づいている事を、登勢は母性本能で感じた。彼女は思った。〃優しい母や姑に見守られながら産んだ敏夫や留里の時とは違って、独りでお産を済まさねばならないのだ。胎盤癒着などによる多量出血を起こした場合死に直行する事も考えられるが、どんな事があっても、無事にお産を済まさねばならない。私が死ねば誰が子供達を内地へ連れて帰って呉れるだろう?。いや生命の保証すら出来ないのだ。
私は死んでも死ねない立場なのだ。
 彼女は上田秋成の雨月物語の説話や、子供の頃に幼な友達の辰ちゃんや房ちゃんと一緒に、怖ごわ聞いた子育て幽霊の伝説を思い出していた。
 昔、それは寒い或晩の事であった。少し早仕舞に飴屋が表戸を下して、戸閉りをしていると、ごとごとと飴屋の表戸が鳴った。耳をすますと、
「今晩は!、水飴を一文で売って下さい。」
地の底から出て来た様な、絶え入る様な声がした。飴屋の主人が出てみると、青白い顔の痩せ細った若い女が、白い着物を着て表に立っていた。女はまるで体中から冷気を出している様で、あたりに冷たい風が漂っていた。
飴屋は薄気味悪く、背筋がゾーとする様な思いで、多い目の水飴を大急ぎで渡した。女は嬉しそうに「有難う御座居ます。」と丁寧に頭を下げて帰って行った。翌晩も翌々晩もその若い女は飴を買いに来た。しかし、若い女は一日一日と弱々しく、衰えて行く様に見えた。六晩目の夜、女は悲しそうに、
「有難う御座いました。もうお金がありません。」と冷たい一文銭を置いて飴屋を出た。その様子が哀れで、以前より不審に思っていた飴屋が後をつけて行くと、女の姿は墓地に消えた。消えたあたりで、元気な赤ん坊の泣き声がしていた。登勢の郷里播州では、冥途の路銀(三途の川の渡し賃等)として、一文銭六個を紐に通して棺桶に入れる仕来りがあった。死後に出産した若い女は、冥途の路銀で水飴を買って赤ん坊を育てていたのである。〃私は絶対に死ねない!。いや、死なない!。内地へ子供達を連れ還る迄は死んでも死ねない。〃と登勢は、心の中で絶叫していた。そして出産までに炊事当番の責任も産後の分迄果しておきたいと思った。
 その頃、共同炊事当番は二人ずつ組んで、翌朝一日分の御飯を炊く準備をする事になっていた。朝火を燃して炊けた御飯のお釜を下すのは男の人の役だった。官舎全員の一日分(三升の米)は多くはないがお米と水を入れた大きな釜の上げ下しは、相当力が要る仕事であった。けれど登勢は独りで二日続けて当番をしようと思った。
 幼い頃はひ弱い泣虫の子供であった登勢であるが、結婚後大家族の中で、大瓶に水を運ぶ仕事や、四斗樽の漬物石の上げ下し、大家族の三度の食事のお釜の上げ下し、戦時中の空地利用にした事もない畑仕事や、かます縫いの勤労奉仕等、様々の労役や困難が種々の意味で、彼女を逞しく鍛えていた。腕も太くなり、小柄な体に似合わず力も強くなっていた。幼稚園ばかりでなく、小学校へ入学しても、附添なしでは通学出来ない弱虫の甘えたの幼女の頃の面影はもう微塵も無くなっていた。
 上敷領夫人や河島夫人の「奥さん、無理をしないで、重い物は男の人に持って貰うのよ。」と言う言葉や、「代りに重い物は持ってあげるから遠慮しなくていいですよ。」と言う小吉元上等兵の親切な言葉を、無理に退けて、独りで炊事当番に取り組んだ。初めにお釜を洗ってかまどに乗せ、洗いあげたお米を入れ、最後に分量の水を入れる様にして重量を手加減しながら仕事は順調に進み、第一日目の当番は無事に終った。
 登勢が仕事を終ったかすかな安らぎと共に、ふと見上げた西空には、三日月よりも細い糸の様な新月があった。昏れなずむ空に懸った赤味を帯びた黄金色の新月は、神秘的に輝いて登勢の胸に促々として敬虔の念をもたらした。不運の武将、山中鹿之助が「憂き事の
なおこの上につもれかし、限りある身の力試さん。」と三日月に祈った話は、余りにも有名であるが、登勢は静かにお産の無事を新月に祈らずには居られなかった。
 その翌日の第二日目の夕方、お腹が何となく重く調子が少しおかしいと思いながら、明朝炊くお米を洗って、明朝の薪を運んだ。冷たい水に引きつってくる指を引っぱりながら準備は殆んど完了した。〃もうこれで終った〃と思った途端!。心にゆるみが起きた。
 赤土をこねて、即席に作ったいびっなかまどと、かまどの上に乗せたお釜の間の隙が目にとまった。
 気になった登勢は思わず力一杯にお釜を引っぱったが思ったより重かった。両足に力を入れて釜を動かした拍子にお腹に力が入った。お釜のずれは正しくなって、隙間は無くなったが登勢は下腹部に痛みを感じた。〃ハッ〃と気づいたがもう遅かった。
 痛みは大分きつく感じられた。そっと掌をあてて、痛みの鎮まるのを待った登勢は、大急ぎで後片づけをして部屋に入ると静かに横になった。この儘痛みがもうなけれぱ大丈夫腹痛はおさまると思ったのだが:.……。最初程ではないが、又痛みがきた。子供に夕食を食べさせて、床に寝つかせた頃には紛れもなく陣痛となった。登勢は排便をすませ、出産の準備をして、本格的に床に着いた。登勢が「お腹が痛くなった。」と言うと、橋口夫人はてきぱきと皆に命令をした。
「柳沢さんお湯を沸して:::。舟元さんは産婆さんを呼んで来てね。私はペチカをたくから…:….。」橋口夫人の言葉に柳沢夫人がお湯を沸かしはじめた。舟元、小吉の二人の元上等兵は保給厰官舎の日本人会登録の産婆を呼びに駈け出して行った。登勢の腹痛は十分程の休みをおいて激しくなり、登勢は〃早く産婆さんに来て頂かぬと間に合わない〃と思い始めた。
 全身の力を抜いて痛みに耐えながら、〃産婆さんは未だ時間がかかるのかしら?”と登勢は不安になっていた。激しい痛みに水が下り、陣痛の間隔が短くなって、その度に下へ胎児の頭が下るのがどうにも止まらなくなって来たのだ。
「産婆さんは末だ?。産婆さん早く来て頂戴!。」を繰返していると、柳沢夫人が飛んで来て、「今、小吉さんが帰って来られたから。もうすぐに舟元さんが案内して産婆さんが来られるわ。」
と、言って登勢を勇気づけた。けれども未だ産婆は現われなかった。登勢に言ったものの柳沢夫人も産婆の現われるのが間にあうかどうかと心配になって来た。
「産婆さんが来られる迄に生まれたら、橋口さんどうしましょう。」
「一握りで結んで、指二本置いて、糸をくくり間を切るとか言うけれど……。私もしたことがないから、産婆さんを待つしか仕方がないでしょうね。」
登勢は橋口夫人と柳沢夫人の遣り取りを聞きながら、〃もう生まれるわ〃と思った。
「ああ!お母さん!生まれる!。」登勢の叫びと同時に泣き声もあげずに、赤ん坊はこの世に飛び出して来た。それは将に満潮の勢であった。
 その時、お勝手の出入口に、騒がしく声がした。
「今晩は!。」「あ!もう生まれたらしいですね。」
「そこの廊下の突当りです。」
「お湯が沸いていますから。」登勢は軽くなったお腹と共に、心も軽くその声を聞いた。「今晩は、産婆の黒岩です。」
「お世話になります。岡田です。」予約はしていたが、初診であった。
 黒岩は新生児をその儘にして、登勢の容態をしらべてから新生児をとり上げた。赤ん坊
が始めて、「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。」と三声、呱々の声をあげた。窒息の心配をしていた登勢は、安堵の喜びの中でその産声を聞いた。
 産婆はその儘赤ん坊を登勢の足元において、登勢の処置にとりかかった。ぼろ官舎内の同居の人の親切で、産湯の準備がすすめられ、産婆は軽く登勢のお腹をおさえて、登勢の処置を手際よくほどこした。その間登勢は足元で、こちょこちょと動く、暖かい、そして柔らかい、すべすべとした自分の分身を、愛おしく肌で感じていた。
 胎盤が軽い痛みと共に出てしまうと黒岩は「こんなに出血のないお産は珍らしいですね。」と言って、新生児の産湯に取りかかった。
 「お日出度御座います。可愛いい坊ちゃんですよ。」
赤ん坊は可愛いいと言うよりも、小さいと言う言葉が適していた。登勢は同室の柳沢夫人や普段煙たい存在の橋口夫人までに、親切な援けを受け無事にお産が済んだ事が、有難く感謝で一杯であった。
 長い間のお産に対する危倶が、すっかり解消して、胸中に拡がる安堵の思いは、彼女を睡りへと誘って行くのだった。ネルの産着を着せて貰った赤ん坊を、登勢は眺めながら、
〃一体目方はどれ位あるかしら?、六百匁(二粁二百五拾瓦)?かしら、それとも六百五十匁(二粁四百瓦)位かしら?と考えている間に、瞼が重なりそうになって来た。黒岩は新生児が水を吐くかも知れないので、少し横向きに寝かせて言った。
「明日の朝まで赤ちゃんもお母さんも良くお休み下さい。」
「どうも有難う御座居ました。」一週間お湯を使わせに来ますから、その間にお隣りの奥さんも一度診て置きましょうね。」
と黒岩は柳沢夫人のお腹に目を落しながら言った。
「明日はお昼頃に来ます。」
「有難うございます。よろしくお願いいたします。」
登勢と柳沢夫人が一緒に言った。登勢は、
「御苦労様でした。」
と睡い声で挨拶すると、もう黒岩の姿が廊下に消えて襖が閉まる音を半分夢の中で聞いていた。
 黒岩は日本軍の配給の外套に薄茶色のショールを巻いて、舟元と小吉に送られてぼろ官舎を出た。外には肌を刺す冷たい風が吹いて、満天の空に星が降りそうな星月夜であった。深く藍色が沈んで冴えた空に、オリオン座の三つ並んだ星がチカチカと、震えている様であった。
 翌朝、一晩ぐっすり眠った登勢は、すがすがしい気分で眠りからさめた。すっかり元気を取り戻した若い体には、お産の疲れは少しも残っていないかに思われた。
 ぼろ官舎の人々の親切で、赤児の行水のお湯も沸かされ、黒岩が赤児の行水を済ませた後のお湯で、登勢が洗濯をすませると、上敷領夫人や河島夫人が、自分の家族の分と一緒に、戸外に干して呉れるのだった。登勢には二才ニケ月の留里を抱いて用便につれて行くのが、一番難儀な仕事であった。廊下がお勝手からの粉炭と水で汚れた土足でべとべとであった為、お便所も土足になっていたので、いくら腕が疲れても、途中で子供を立たす事は出来なかった。産後に、中腰で幼児を抱いているのはお腹にこたえたが、親切に甘えて子供の世話を他人にまかせる気にはなれなかった。それにお産を三月上旬にひかえて柳沢夫人のお腹も、大分嵩を増して、柳沢の坊や(二年一カ月)の世話のなかばを樗木と幸子が手伝っていた。
 登勢が敏夫や留里の食事の世話を済ませて、再び横になっていると、横の外の廊下で、敏夫が大きな声で上敷領夫人に言っているのが聞こえて来た。
「僕んちに赤ちゃんが生れたんだよ。おとうとなんだよ!。おととはね。留里には未だおちんちんが生えて来ないのにね。赤ちゃんだのにもうおちんちんが生えているのだよ。」 上敷領夫人が笑いを噛みころした様な声で、
「あら!そう。トシ坊。良かったね。赤ちゃん可愛いでしょう。」
「うん、おととはね。お魚でなくて、小さい可愛いい赤ちゃんなんだよ。」
聞いていても自然に頬の筋肉がゆるんで来る様な、それは敏夫の変てこな幼児の論理であった。
 そんな対話を聞きながら登勢は以前、里の家の床に掛けられていた掛軸の事を思い出していた。その掛軸には約八百年程前(一一五九年)平治の乱に敗れた源氏の源義朝の側室常磐御前が、三人の遺児と市女笠に雪を避けながら、平家追手を逃れて行く姿が画かれていた。今若をつれ、乙若の手を引き、年若を懐に抱いて、落ちのびて行く先は鞍馬の山か  梁川星巌の〃母の懐から雪の山にひびく呱々の声は後に千軍を叱咤号令する〃という意味の漢詩が斜上部に書かれていた。三人の児を連れた常磐御前が源氏の再興を、三児に賭けていたかどうかは別として、三人の幼児の生命力を信じ、子供の養育に自分の生命をかけて、心血を注いだのは、今も昔も変らぬ母性本能だと思った。敏夫と留里そしてこの嬰児の三児をつれて鞍馬ならぬ内地へ還る。それは登勢のつきつめた願いであった。
 産後三日目の午後たつ.た。ぼろ官舎の勝手口(玄関代用)で騒がしく声がした。
「岡田さん!。」柳沢夫人の驚いた様な声がして柳沢夫人や小吉や樗木と一緒に思いがけない出産見舞の客が、靴ばきでどかどかと現れた。
「靴!。」「靴!。」と樗木が大きな声を出して靴を指差したので、パーシャ曹長もクチャカアマダムもマルキンも、廊下に靴をぬいで、部屋に入って来た。
「岡田オクサン。パズドラブリャーユ(お日出度う)エレビヨニカシーン、ドーチ?(赤ちゃんは男?それとも女?)。」
「スパシーバー。シーン(有難う。男の子なのよ)。」
「ラシュヂェー二。。ハズドラブリャーユ(お誕生お日出とう)。」
「ハラショー(好かった)。」
「エタナーシュ、パダルクイチビヤ(これは貴女へ私達の贈物です)。」
と言って銘々に登勢の前に、牛肉の缶詰。パン。洗濯石けん(十センチ位の固型)を置いた。それからどろりとしたものの入った瓶を大切そうに取り出した。
(どろり)とした號珀色の液は水飴らしく、「エタ、エレピヨーニク(これは、赤ちゃんに)。」と差し出した。「ス。ハシーボー(有難う)。」と礼を言う登勢に、
モノーガワーダ::.….(沢山の水でうすめてから飲ませるように……)。」と説明して、
マダムクチャガは楽しそうに微笑した。パーシャ曹長は立膝をして珍らしそうに、赤ん坊を見ていたが、真面目な顔をして、登勢に聞いた。
「グラース、スマトリ、イエスチー?。(目は見えるの?)。」登勢が
「グラースィェスチ、スマトリニェト(目は開いても未だ見えないのです)。」と答えると、「ダ。ダー(そうですか?.)。」とうなずいて「ダスビダニヤ、フシボーハロージェ。(さよなら、では御機嫌よう)。」と言って立ち上った。登勢の
「スパシーボ、ダスビダニヤ(有難う。さよなら)。」と言う声を後に、マダム違は
「フシェボハロージェ。」の声を残してぼろ官舎を出て行った。
 風変りな見舞客の後発が見えなくなると、小吉が言った。「奥さん。たいしたもんだね。自分達は一日中働いて十センチの固型石けん一コだのに、お産で寝ていて稼ぐんだからね。羨ましい限りだ。」
「ロスキーのマダムも親切だね。」
「いいわね。沢山貰っちゃったわね。」樗木と柳沢夫人も幾分の羨望をこめて口々に言った。
 登勢は、〃どうしてマダムが私のお産を知ったのかしら〃と不思議に思った。
〃お隣りの官舎でさえ、皆が知っている事でもない出来事を、マダムクチャガは誰から聞いたのだろうか?〃と考えていると、上敷領夫人と河島夫人が、
「如何ですか?。」と言いながら、登勢達の部屋へ入って来た。
「今朝、表の通りへ出ると、髪のちじれた小柄なロスキーのカピタン(将校)に出合ったの。」登勢は聞いていて、
〃ジンジャーカピタンだ。〃と思った。
「カピタンが、『岡田ドクトルマダムはハラシヨ?(元気かな?)』と聞くので、手まねで大きなお腹を作ってから『オギャァ、オギャァ』と言うと、『ダーグ。』とにこにこしてうなずいていたわよ。」
「どうりでね。先程マダムとその亭主の曹長と当番兵のマルキンが、お見舞に来て呉れたのよ。お宅の小吉さんや皆さんに、すっかりお世話をかけてしまって、有難うございます。もう大丈夫。私はすっかり元気になbたわ。」
「遠慮しなくてもいいわよ。何でも手伝うから、ゆっくり寝てなさいよ。」
「そうよ。別に是非しなければならない仕事は無いのだし、何と言っても体が大切なんだから。」
「ええ、有難う。」登勢はぼろ官舎の人々の親切が身にしみて嬉しかった。登勢はお乳もどうにか出て、産後一週間もすると、すっかり元気になった。
 二月に入って立春を迎え、さすがに暖かい日が続いた後であった。前夜から冷え込みが酷しく、窓ガラスにはびっしり露が浮いて、おふとんも壁側が濡れて来ていた。
 朝、目が覚めると一面の雪であった。凍りつく如月の寒さの中で、純白の雪に閉ざされた秋乙は、美しく凍結した様に思われた。
〃内地へは何時頃還れるのであろうか?。〃と思いながら白い雪をじっと視つめていると、「故国の灯」を求めて三児を連れ、雪の肱野をさまよう敗戦の哀れさが心に凍りついて、彼女を一層悲しくした。それは唯やる瀬ない望郷の念であった。
「奥さん。」上敷領夫人が入って来た。
「今ね此の間のちじれ毛のカピタンが、
「岡田ドクトルマダム。」と言ってこのぼろ官舎へ来たのよ。私の顔を見て、
「岡田奥さんに、セラーチ(洗濯)に来る様に伝えて呉れ。」と言って帰ったわよ。」
「あら、そう。」
「何でも『リース』(米)が沢山手に入ったからいらっしゃい。と言う意味らしい事を言っていたわ。」
「そう。それじゃ早く行かなくちゃならない。」
 その頃、平壌の郊外の炭坑へ順番割当で使役に行く人達の仕事の見返りに、石炭はソ連軍から貰う事が出来た。(それも荷車に綱をつけて皆で引いて帰ってくるのであったが--)けれど食糧は日一日と乏しく、ぼろ官舎の人々にとって、食糧を確保する事が、さしあたっての重大問題なのであった。
 登勢は赤ん坊に乳を飲ませて寝かせると、留里と敏夫を連れて二〇二号官舎へと出かけた。ザクザクと鳴る雪を踏みくだきつつ……。
 久し振りの外出に弾んでいる敏夫の足元を用心して、広場の石段を下りた。背中で足をぱたつかせながら留里が
「キー(ロスキー)のとこへ行こうね。」と言った。
「母さんはお仕事があるから、お利口にしているのよ。」と話しながら官舎の門をくくった。しかし門の横の終戦の時サワサワと青葉を鳴らして、登勢達の心を慰めてくれた桐の木はもう見られなかった。半月余り来ない間に、あたりが何となく変った様なとまどいに、一瞬登勢はひるんだ。思いなおして積雪を踏んで入って行くと、以前の防空壕の上に桐の木が根元から切り倒されて、雪をかぶって転んでいた。
「ドヴラヤウートラ(おはよう)。」と手に吸いつきそうに冷えた勝手口の取手を思い切って引っ張ると、案外簡単に開いて、マルキンの愛くるしい顔がそこにあった。
 先日のお祝いの礼を言うと、笑顔でうなづいた。
「岡田奥さん。イジスダー(此処へいらっしゃい)。」とクチャカマダムの声に招じられて入って行くと、マダムはにこにこしながら、オンドルの部屋の寝台に腰掛けていた。
「モノーガパダルクスパシーボ。(沢山の贈物を有難う)。」と礼を言うと、マダムは登勢のお腹の小さくなったのを指差して愉快そうに微笑した。
「ティハラショ?(お元気で?)」
「スパシィボ、ハラショ(有難う元気です)。」
そこヘシンシャカピタンが現われた。彼は手まねを混えて登勢に言った。
「岡田奥さんセラーチラボート・…-(洗濯の仕事が沢山あるのでお願いする。マルキンがお湯を沸かしているからお湯を使って……)。」
 マルキンはマセック(絶無煙炭)を沢山投げ込んで、お風呂のお湯をどんどん沸かしていた。シャツ、股下、作業用ズボンと上着等洗濯物は脱衣場に一杯になっていた。登勢は赤ん坊をぼろ官舎に寝かせているので、急ぎたてられる思いで洗濯に取り組んだ。登勢はマダムやカピタンの好意に応える為にも出来るだけ完全な仕事をしたいと思って汚れは丁寧に石けんでこすった。汚れを充分に落して美しく洗いあげ力一杯に絞って四斗樽に入れた。濯ぎも暖かいお湯を沢山に使って、洗濯は気持よく早く終った。洗い終った洗濯物は、四斗樽に山盛り一杯に溢れた。四斗樽をマルキンがかけ声と共に戸外に運んだ。四斗樽から溢れた分をバケツに入れて登勢も戸外に出た。
外は一面の銀世界で寒かった。軒から一杯に氷柱の下った物置小屋!。そこには敏夫や留里が可愛がっていた兎ももう居ない。物置小屋の柱から防空壕の上に一本だけ残っている物干の柱にマルキンは、登勢に手伝わせて、綱を張り渡した。綱を張り終るとマルキンは、濡れた洗濯物が一杯入った重い四斗樽を、「やっ!」と持ち上げて15センチ程も雪の積もった防空壕の上に運んだ。子供じみた力自慢をマルキンに限らず、ミッシャーでもイワンでもソ連兵はよくして見せた。登勢の方を向いてマルキンは、
「ヤ、ハラシヨ?(私はえらいでしょう)。」と尋ねるので、登勢は
「ダーハラショー(ええ、えらいわ)。」
と答えて、真白な雪の上に張られた綱に洗濯物をせっせと干した。洗濯物はまたたくまに凍でついて、風は冷たかった。登勢もマルキンも無言でせっせと干した。干し終って、「オオ、ホロドノ(寒い)。」
「おお!寒む!。」二人が同時に云った。顔を見合せて肩をすくめ思わず笑った。
マルキンは再び云った。
「岡田奥さん、ヤ、ハラショ?。」
登勢はマルキンが仕事の自慢をしているのだと思った。良い事も承知したと云う事も、偉い事も何でもが、「ハラショー」でまかり通っていた。
「ハラショ!一」は登勢の知っている数少いロシヤ語の中では一番沢山の意味を持っている事に、登勢は気づかなかった。
マルキンが「私を好きか?」と問うた「ハラショー。」の意味が登勢には判らなかった。登勢は微笑しながら、
「ダー(ええ)ハラショー。」と答えた。
登勢は「マルキンは仕事熱心によく働く」と云う意味で云ったが……。マルキンは笑いながら登勢の方へ二、三歩近づいた。驚いた登勢はさっと身をひるがえして、バケツを持つと勝手口から家へ飛びこんだ。後からマルキンも家へ入って来た。室内のペチカは暖かく燃えていた。
 冷えきった手足が暖まると登勢は帰る仕度を始めた。それを見てカピタン、ジンジャーがマルキンに米を一叺(三五K位)持って、登勢を送って行く様に言いつけた。マルキンはジンジャーが登勢に親切にしすぎるのが一寸しゃくであった。登勢の当番兵でもないの
に。登勢はシンシヤーとマダムに礼を云って外に出た。空には白い新月がうすく細く、白雲が昇華したかの様に懸かっていた。片手に洗濯板を提げ、雪にすべりそうな敏夫の手を引いて、登勢はぼろ官舎の幼い生命の危機も知らずに、留里を背に歩を運んだ。
 以前マルキンが乾パンを担って、登勢の後から送って行った時より、米の叺は重かった。敏夫の足に合せて、すべらぬ様にと用心しながら登勢がゆっくり歩くので、遂々マルキンは先に立って歩き出した。
拾二、二歩先に歩いては雪の上に叺を下して立ち止り、
「ヴイストロ、。ハィジヨン(早くおいでー)」を繰返すのだった。
 広場前の石段を登って踏み出した時だった。敏夫の足がよろめいた。あっ!と手を引いた拍子に登勢の足がすべつた。その時、横で叺を下して待っていたマルキンが、さっと登勢を支えた。危うく重心を取り戻した登勢は、ねんねこの上からマルキンに支えられて、一瞬!。礼を云うべきか?それとも怒って手を振りほどくべきか?にとまどった。マルキンはにやっと笑って、肩をすくめて歩き出した。怒らなかった事が誤解をまねく結果になる事等は思いもそめず、登勢は後から歩いた。ぼろ官舎に着くと自称二十六才の少年兵はドサリと米の叺を廊下に下し、一つ大きく背のびをして帰って行った。

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