四、名月
 次の日の朝食後だった。「奥さん。兎が一匹も居りまへんでっせ。」佐々木の声が裏口からした。「お母ちゃん、兎ちゃん居ない!。」「小屋の兎ちゃんが皆居ないよ。」佐々木さんと留里と敏夫が裏口から駈けこんで来た。登勢が驚いて小屋へ行ってみると、小屋の扉は開け放たれて、中はも抜けの空であった。登勢は直感的に、昨日買物に来た○人の顔が浮んだ。「奥さん売る物無いですか?。内地へは何時発ちますか?」と言いながら家の周囲や物置小屋をしきりに物色して油断のならぬ眼付であった。飼っている生き物は不憫がかかって殺す事は出来ないという登勢に、佐々木は子供達の目に付かぬ処で秋乙官舎の元兵隊の友達とすき焼か兎飯を食べたいと云っていた。佐々木は「惜しいことをしましたなー。先をこされてしもて。昨日の昼様子を調べておいて夕方に盗ったに違いおまへんな。」とさも残念そうに確信のある口振りで言った。
 登勢は引揚後の兎の事を心配していたので救われた様な気になっていた。「留里!兎ちゃんは月の世界にとんで行ったのよね」と言った。すぐ傍で敏夫の目が「キラリ」と輝やいた。「兎ちゃんは何処から、どうして跳んで行ったの?」登勢は「しまった。」と思ったがもう後のまつりである。「さあ1見ていないから判らないけどお山の頂上(てっぺん)から跳んで行ったのかも知れないわね。」「兎ちゃん今頃、お月さんでお餅を搗いているか?」登勢はうっかりした事も云えなくなって「そうね、『ポッタン、ポッタン、やれ搗けそれ搗け』『黄金のーうーすに銀の杵』と歌があるでしょう。」というと傍から佐々木が「今夜は十五夜の筈だすねん。今年は故郷の石山寺の月が見られると思うとりましたのにあきまへんなあー。」と云った。「ああそう今夜は十五夜なの?。おだんごでも作ってお月見をしましょうか。」「お月見しはるんだっか?どーれ、あっしはすすきを採りに行って来まっさ。」と云ってさ々木は出て行った。そばで聞いていた敏夫が「うわーい!!。留里。お月様で僕の家の兎ちゃんがお餅を搗いているのを見ようね。」と意気込んで跳びはじめた。「ピョン、ピョン、ピョンピョン、やれ跳べ、それ跳べ。」「うん。兎ちゃん。お月さん。お餅ついてる。」片言を言いながら留里も一緒にはしゃいでぎこちなく跳び始めた。
 敏夫は(兎ちゃんみたいに僕もお月様に行ってみたいな!!)と思っていた。「お母ちゃん。僕跳ぶから見てねこんなに跳べばお月様へとんで行けるかしら?」「さあね。お母ちゃんも一緒に行きたいし、留里ちゃんも連れて行ってやらないとね。三人で跳ぼうね。でももっともっと練習して高く跳べる様にならないとお月様は遠いからね。」「やれとべそれとべ。」「ピョン。ピョン。ピョン。ピョン」「やれとべ、それとべ!」
 登勢は無心にはねる二人の幼児を見つめながら、(しろがねも黄金も玉も何せんに勝れる宝子にしかめやも)山上憶良の歌を思い出して心の中で反芻していた。コルネリヤが友人に子供が私の宝石だと言った様に(この生き生きと輝く黒曜石の様な四つの瞳こそ私の宝石だ。いや生命だ。私にはコルネリヤの宝石が生きている。私の宝石を強く正しくそして明るく磨くのだ。マーキスもブリリアンカットも今なら出来るのだ。宝石をきずつけてはならぬ。元気を出すのだ。)
 彼女は子供と一緒に小さな声で歌い始めた。「黄金の臼やら銀の杵、月の光に浮かされて月の世界へ跳んで行けー。月の世界に跳んで行け!」彼女は歌っている間に彼女の幼稚園の頃を思い出していた。登勢は主役の兎に扮装してお遊戯会に「搗きますお餅は十三、七つ、お月様にもあげましょう。」と歌に合わせて踊っていた。お遊戯会でのセリフも踊りも彼女の記憶に残っていた。そうだ。一緒に子供達と踊ろう。彼女は心が明るく弾んで来た。そこでセリフをいう様に格好をつけて声色を使って云った。
「敏夫ちゃん。さあ、お餅を搗いてお月様に差し上げましょう。」「うん。」「うんなど云わずに〃さんせい。さんせい〃といって留里ちゃんも一緒に手を叩いて頂戴!」「賛成賛成。」「パチパチ。ハチ。」「パチパチパチパチ。」杵をかついだ気で親子三人の踊りが始まった。
「エンエンペッタンコ。ペッタンペッタンペッタンコ。」「さあさあ。お餅が搗けました。きれいに丸めましょう。」敏夫も留里もにこにこと、満面に笑みを湛えて親子三人がお餅を丸める仕事をしていた。
 するとその時、「御免下さいませ、回覧板です。」と声がして萩原夫人が愛国婦人団の回覧板を持って見えた。回覧板には
 一 目立たぬ服装をする事
 一 夜の七時以後は外出しない事
 一 戸締りを厳重にする事
 一 燈火を洩らさぬ様にする事
 一 家族表を記入の上差出す事
 一 ソ連兵士に暴行を受けた婦人はただちに病院へ行く事(秋乙日赤病院は残っていた)
等々が書かれていた。
 そしてロシア文字33字のアルファベットと一緒に簡単な日常語20語程を謄写刷りにした用紙が二枚と、同じく謄写刷りの、ソ連軍司令長官の名前の入ったロシア語で〃強奪、強姦を禁じ罰する〃という意味の事をかいてある4半分の粗末な用紙が配られていた。これは云わばソ連兵士の家屋浸入に対する一種のおまじないみたいな物であった。秋乙にソ連部隊が入って来てから、官舎地区にもソ連兵士が来る様になっていたので、登勢は早速このソ連兵(魔)除けの護符を玄関の扉に糊で貼りつけた。
 お月見をする為にその夜は早く夕食を終えて充分に戸締りをした。一ケ所だけ障子を開けて(二重点)窓のガラス戸ごしに月の出るのを待った。敏夫と留里はお団子を食べ終ると「やれとべそれとべ」「ビヨンビヨンビヨンビヨン」と跳んでいた。六時半頃になって月はやっと現われたが最初は雲がかかって余りはっきりしなかった。それでも敏夫は「お月様が出たよ!」と一心に月を見つめていた。そのうち少し雲が晴れた時敏夫は輝く月の中に兎の姿を見た様に思った。円い月の面に兎が杵を持って居る影絵の様な形が浮き上って来たのだ。それは彼の持っている絵本の兎の餅搗きの絵と非常に似かよっていた。というよりそのままの構図とポーズであった。
「お母ちゃん。兎が居るよ。留里。兎ちゃんがお餅を搗いているよ!。」「そう!兎ちゃんがいて良かったね。さあ。留里もお月様が見えたでしょう。」「うん、お月様見た。」「それではお月様にお休みなさいをして、寝ましょうね。」「お月様お休みなさい。」「---。」
 二人の子供が寝静まった後になって、月は美しく冴えて来た。窓をそっと開くと円い円い十五夜の月の光が、部屋の中まで照らして来た。吉田絃次郎氏だったかが、〃月の光は慈愛の光である〃と云った。その慈愛に人は甘えるのであろうか?。じっと見ていると〃千々に物こそ悲しき〃と言った古人の心が、その儘切々として登勢の胸にもかよって来るのだった。
 太宰府の配所の月に身の不遇をかこった菅公や三笠山の月を詠んだ阿部仲磨、如何に多くの人々が故国を思い故郷を偲んで月光に涙を流した事であろうか!。大いなる久遠無窮の宇宙!そこには四次元の世界も五次元の世界も存在するであろう。この自然に対した時、人間は小さな無価値な自己を再認識して微塵の衒いもなく、強がりもなく、素直に裸の、心をさらけ出せるのだ。神の恩寵の前に平伏す小羊として誰に遠慮もなく赤裸々な姿で涙を流す事が出来るのだ。
 登勢は月を見つめていると、夫の岡田軍医がよく愛唱していた歌〃月の砂漠〃が聞こえる様な気がして来た。
「月の砂漠をはるばると旅のらくだが行きました。金と銀との鞍おいて.……。」岡田軍医はすごい低音でかすれ声であったが音程は確かであった。声変りする以前は小学校時代いつも学芸発表会に独唱していたという事であった。その頃の歌の一つに〃月の砂漠〃があった。夫の軍医も眠れぬ儘に、今頃は三合里廠舎で今宵の月を見ているであろう!
 金と銀の鞍に金の壷と銀の壷を積んで月の光に濡れながら砂漠をらくだに乗って往く旅人が見える思いで、登勢は手ばなしで声もなく泣いていた。〃明月や捕りょの妻の泣く夜かな〃
 十五夜の月は愈々冴えて天空に宝石を散りばめた如く輝く星さへ光を失った様であった。
「ガタリ」勝手口でかすかな音がして登勢は、「はっ!」と我に還った。
 佐々木元兵長が勝手口から入って来た。「あんまり月が美しうおすので一寸外へ出て居りましたんどす。」佐々木も故郷の石山寺の月を偲んでいた様子であった。「内地なら〃明月や畳の上に松の蔭〃どすけどー。松の木もおまへんしなー。」「北群では座頭の妻ならぬ捕りょの妻が泣くのですものね。不用心ですからよく戸閉まりをお願いしますよ。」
〃帰国出来るのは何時なのであろうか?〃 佐々木も登勢も口には出さないが銘々その事を考えながら寝についた。
 折しも中天に懸った仲秋の名月は、まるで貝が口を閉ざしたように厳重な戸閉まりをして鳴りをひそめて眠っている秋乙の官舎を耿々と照らしていた。ソ連軍からの達しで「パンパン」というピストルの音も殆んど聞こえなくなり、秋乙中の虫がまるで名月に嘯く如くあちらこちらから虫の音が響いていた。この虫の全生命を燃焼して奏でる秋の夜を徹しての競演に、十五夜の夜は無事に更けていった。けれども〃ソ連軍部の移動が一段落すれば日本人の内地送還が始まるだろう〃という登勢達の心頼みも空しく内地へ帰還の話はすっかり沙汰止みとなって登勢達婦人達は夜道に捨てられた子犬の様に不安と恐怖におびえながらひっそりと肩を落として暮すのだった。
 北鮮秋乙の短い秋は日一日と爛けて猫の足音の様に静かな秋雨が軒端を濡す日が二日程続いた後は、秋がもう本格的に深まって、つい先日迄の暑さがうその様に遠くへ去ってしまった様であった。
 そして登勢がせっかく扉に貼りつけたソ連軍司令部が発行した「強姦、強奪、を禁ず、.これに違反した者は厳罰に処す」という魔除けの護符など少しの御利益もなく、昼となく夜となく、ソ連兵士の家宅侵入は日増しに激しくなっていた。又それに附随した様に治安署の威嚇も加わっていた。引揚の日時も発表されないままに、様々の臆測が噂に噂を生んで、色々な取沙汰が聞こえて来るのだった。よく考えれば嘘の様な話までが誠しやかに伝わると、それはそれなりに真実性を持って、「貴金属を持っている者や、写真機を持って居る者は、残留組に入れられて使役に廻わされるそうだ。」とか「九月末には官舎の将校家族を帰して、官舎にはソ連軍将校やその家族が入るそうだ。」とか「いや生活困窮者を先に帰してお金や物を持っている者は後廻しだ。」という様な話がいかにも尤もらしく、聞こえて来て(火の無い所に煙は立たぬ)という諺が皆に帰国への希望を持たせた。
 登勢は兎にも角にも一日も早く内地に還りたかった。お座敷の窓際で二重戸の障子を細く開けて(引揚げは一体何時なのであろう!噂は本当なのだろうか?)あれこれと様々に思いをめぐらせている時、窓辺に人影がした。
「もし。もし。」
登勢は(ビクリ)として「えっ」と出そうになる声をのみこんだ。人声にまでおびえねばならぬ毎日であった。
「奥さん、時計に宝石売りますか?」
登勢は戦争中に内地に居た頃にルビーの指環の台も、24金の蒲鉾型の結婚指環も、又亡き父が買って呉れていた0.8カラットのダイヤの指環も、政府に献納してしまってなかった。ヒスイとメノウの帯止めがある位の事であったが、これもとりわけ欲しくもなく、売っても惜しいとは思はなかった。
「奥さん、日本のお金で高く買いますよ。ロスキーは居ませんか?」
登勢があわて、二重扉の障子を大きく開けると、ガラス戸の外に柔和な朝鮮人の顔があった。
「ロスキーに見つかると、盗られてしまう。だから良かったら早く見せてよ。」登勢は急いでガラス戸を開いて帯止めを見せた。べっ甲色と赤い色がぼかしの様になったメノウは直径4糎位のドーナツ型の石に、紐が両側から通してあった。ヒスイは2糎と4纏の楕円形で、銀の打金が裏についていて、表は牡丹の花の彫刻がしてあった。透明では無いけれど緑の明るい色が右隅の方へ、白くぼやけて、登勢の大好きな帯止めであったがこの帯止めの為に、外地に残されたのではたまらないと思った。
「一体幾らで買って下さるの?」敗戦による物価の昂騰で卵は一個が一円していた。しかし登勢には宝石の相場は全然判らなかった。
「奥さん。貴女、小さい子供、連れた若い奥さんあるから特別奮発する。高く買います。」こちら(メノウ)70円。こちら(ヒスイ)三百円。腕時計、無いですか?」
 男物の時計は主人岡田軍医の大切にしていた(ロンジン)の時計があったが、植木鉢の下に隠していたので錆ついたか動かなくなっていた。登勢のセイコー社の時計も、天然真珠の銀台の指環も、全部売る事になった。総べて一括して五枚の百円札に変ってしまった。
「私ら朝鮮の者、ロスキーが「ダワイ」「ダワイ」と何でもかでも盗る、全く困る。見つからぬ間に帰ります。奥さん、元気で内地へ帰りなさい。さよなら。」
朝鮮人特有のアクセントで親切な挨拶を残して逃げる様に足早にその朝鮮の人は去って行った。登勢は思った。どの民族にも善人と悪人がある。人本来の性は人種にも民族にも関係なく善なのであろうが環境や生活の状況によって良くも悪くもなるのだろう。人間同志が人種的又民族的なこだわりから脱却して無意味な相剋を止め、手をつないで平和に暮らせるのは何時の日なのであろうか?。だがともかく今は何よりも内地へ還りたい。登勢の思は唯還りたいの一語につきるのだった。

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