第二章 鑑識

第一節 鑑識の意義

能面の研究をするには、鑒識力の養成が必要である。鑑識と云ふ語は漠然たる汎称で、複雑の意味を待つのである。學問上の判断、形質上の純雑を分斥する識別などを含める事が出来る。然し通例は物の工技を経て形を成し、器を成したる上にて、其巧拙、優劣、精粗の差等を見定める事に用ゐる。特に物の真贋を識別するに用ゐる。要するに能面の鑒識は、(1)巧拙、優劣、精組を見定めること。(2)真贋を識別する事。の二つの意味を含んで居る。

第二節 古の目利家                  

 總べて古器古物の鑒識は、之を目利と云ふ通語を以て現はして居る。これ眼力の敏利なるを現す語であらふ。從來は器物の目利は、大抵其器物を製造する工技者が、常に其注意の精細なる点からして、自らも目利と信じ、又他人もしか信じて居たのである。然し是れは、当を得ぬ事と考へる。製作者と鑑識者とは格別なものであって、製作者の作った器物は、鑑識者の批判をへて、始めて其品等を定める事が出來るものである。然し古くは製作者印ち鑒識者と云ふ風であった。唯刀剣丈けは早くから刀剣目利なる者があった。是れは能面専門の目利よりは古いものであって、土岐家聞書を見ても分る。能面の目利は是れに比して新らしいのである。足利時代の記録を見るに始めは製作者、即鑒識家、目利であったのである、後には能役者が目利となったのである。かの喜多古能の如く、目利家のオーソりチーは、能役者であったのである。

然し古への目利家には缺点がある。元来目利なるものは、・實験カ、・學問カと兩々相対して行かねば完全に行くもので無い。古への目利は、實験カのみで、科学的智識にかくる所があったのが大缺点である。

第三節 鑑識カの養成                       

  鑒織力は如何にして養成すべきか、これ大間題にして、或る者は、学問の力の養成を主張し、或る者は實験力の養成を主唱する。余は兩者各々必要であると考へる。唯両者の割合如何と云ふ事に就いては、余は、實験カ(経験力)六分、学問力四分位の割合でよからふと思ってゐる。の費験カの養成数多くの面を實際に就いて見ると云ふ事である。初心者は、作の定まった面を見る事が肝要である。面を見るに当りよく注意して、・彩色の具合は如何、・刀法は如何

・容貌は如何と一々調べておく。然すれば自ら多年の経験に依って此面は離れの作であるかと云ふ鑑定がつくのである。此経験のカは、實に恐る可きものであって、能樂家の古老たちは面を見て容易く真贋を判定することが出來たのである。の學問カの養成経験の力のみで、面の価値、真贋を決する事は危険でめる。如何しても能面の歴史を研究し、合せて作家の研究をよくした上で無ければいけない。先述した如く相当の経験をつんだ者でも、能面の古作、新作(河内是閑以後を云ふ)の如きすら、判定する事は仲々困難である、古人の研究に依って、「真の古作は至って稀れなり、當時古作と云ふは大方は越前出目三代、近江井関三代、其外中作太閤時代のものなり。」と云ふ事を心に銘じて更らに、・龍右衛門作と云ふは、越前出目満照打なり。

一、赤鶴三光坊と云ふは近江井関、親信多し。   一、徳若、小牛等と云ふは、近江井関、次郎左衛門灯多し。                      一、福來石王兵衛、千種と云ふ類は、ダソマヅマ多し。一、越智と云ふは、秀満なる可し。        一、増阿彌と云ふは。慈雲院、角の坊の類なり。  一、寶來と云ふは満照打なり。          一、小牛、千種、福来の類には大和打多し。    一、増阿彌、春若の類。角の坊。是閑の濕に合ひたる類多し。                     一、増阿弼、徳若には友閑多し、満永の上出來もあり。一、河内前打古作になりたるは勿論なり。     一、河内打に洞白打あり、大和近江の類見違へて河内と云ふも有り、後世に至っては長雲打も河内にまがふ可し。

一、是閑打に洞白打あり、満永打の見違へて是閑と云ふ        

  者あり、後世に至っては友水打も是閑にまがふべ 

  し。                    一、近江は出來かはり多き故河内にも是閑にもなりたる有り。(面目利傳由来)と云ふ如き古人の研究を参考とすることが大切てあら勿論古人の研究必しもよいと云はぬが、古作新作を区別するにもかヽる用意が必要である。能面目利の要素は、趣味、刀法、彩色の研究をなすにある。出きる限り科學的になさねばならない。

第四節   彩色

 彩色には、作彩色 梨子肌、

柚肌、

刷毛目彩色。

打彩色 河内彩色、

滴彩色。

の種類がある。 作彩色は至って細かに柔に光澤有るを云ぶのである。龍右衛門、赤鶴、夜叉、文蔵、三光坊。寳来、親信、満照。 近世榮満壽満は是を模したが、下作である。一体に古作に多い。紙彩色とは満照の始めたもので下地を紙で張り彩色をかけたものだが矢張作彩色である。古作の彩色は一体に柔かに見えるが、是れは悉く始めから柔かなわけでは無い。中には堅いのもめるのだが、数百年の間に自然と柔かに見える様になったのもある。龍右衛門親信、満照の類は始めから柔かであるが、赤鶴、三光坊、寳来、春若の類は初めから堅いのである。梨子肌は、彩色荒き様にて堅く光澤なく。ざらつきある故梨子肌と云ぶのである。古作に光澤なく柔なるもめるが、堅い方を梨子肌と云ぶのである。彌勤。日永、徳若、治郎右衛門則満、財蓮

は其例である。小牛、福来、石王兵衛。千種、ダソマツマの類にもある・柚肌と云ふは彩色荒き様だが、實は細かで、柚の肌の細かなる様なる趣きあるを云ふ。日光、春若、越智、徳若は其例である。洞白及子孫。元林家ては満總後にある・古作の贋物にもある。この彩色は最も古びが附き易いので・この弊がおこる。刷毛目彩色には堅きも柔かなるもある。刷毛目あるものを云ふ・越智、春若、備中、秀満は其例である。打彩色と云ふは、筆を用ゐず、布に彩色をつけて打ちつけたものを云ふ・河内、大和近江洞白に其例がある。洞白子孫に多い。元休家にも満総以後此彩色ががある。此彩色は洞白に始まると云うが、河内以来と見るが正確であろふ。(厳密な意味に於いて)河内彩色は河内工夫のものである。彩色荒く至って柔に光沢少なき方で、柚肌の如きもの、刷毛目の如きものもあつて、千変萬化一様で無い。何れにせよ膠うすくほつくりと出來たものである。この彩色の傳來は、

河内、大和、近江。洞白、長雲 此他この彩色を模するものがあるが、膠の加減がうまく行かないから駄目である。洗彩色に、膠を強くして仕立て上げ、毛書迄仕上げ古びも程よくかけ、其上で湯をかけて洗ふのである。彩色少しは、浮きたる所も出来、上は摺れ一面に出来て、古き彩色の如く見えるものを云ふ。洞白以來此彩色を始めて、目利家を迷はした事一通りで無い。しかも其方法は洞白以来一子相伝の秘事てあつたが、友水が元章へ相傳し、元章が古能へ相伝して、暴露したのである。古作新作の鑑定上最も注意を要する。油彩色は、彩色はあげて油で拭って仕上げるのである。是は小面の類の胡粉彩色に多く用ゐるのである。是れも彩色よくおち付いて古く見えるが、色が黒くなる欠点がある。洞白頃からあるが是を仕上げたのは、長雲である。近世能面家は古び薬を使用する。之は模作術進歩の一階梯を示すものである。洞雲家の古び薬は河内以来のものである。各家共、是れを秘事として示さぬに依って、製法は不明であるが、油煙を加へる事は間違ひなき事費である。鑒識上注意す可き事である。

  第五節   裏の事               

 面の裏にも種類がある。一通り辨へねば目利は出來ぬ。蝋裏と云ふは、蛾色塗に研ぎ上げたものである。古作は多く此色であるが、後世に塗りたる後世の贋物もあるから目利肝要である。布を着せて塗ったものと、着せずして塗ったものとある。布を着せずして塗った方が、時代は古い、(概して)胡粉蝋色とは、、下地を胡粉で仕立て、上を蝋名の様に仕上げたものを云ふのである。河内が始めたものだが、後世の作家にして之を裁用した人は多い。河内以前にない事は明かな事實である。溜塗裏と云ふは、胡粉で下地々仕立て、紅粉の黄汁をかけて上を漆で厚く塗ったものである。漆よく透きて上溜塗の如く見えるので、此名がある。河内の始めたものである。嚢慶裏と云ふは・木地に膠を引き、紅粉の黄汁をかけて、上を漆で厚く塗ったものだある。近江工夫のものなりと云はれるが如何にや。兀裏と云ふは、春慶裏のはげたもので、河内にも稀れにあるが、大和に多い。思ふに、春慶塗の発明に至る過渡期のものであらふ。古能は、「春慶塗も河内に始まるが、河内大和までは仕方熟さず霊近江よりよく仕覚えたると見えたり」と云ふてゐる。掻合裏は・墨で膠で塗り留め漆で塗ったものである。漆の厚薄段々ありて、上作は趣きが深い。    赤塗は紫土で塗り。其上を膠漆で留めたものである。河内近江に多い。墨塗と云ふは、墨で塗り、膠で留めずに漆でふきたる物を云ふ。夫れ為め光澤なく唯墨で塗った様に見える。黒き木地裏には、墨で塗り、膠で留め漆で摺ったものがある。稀れには。此裏の所々へ紫土を振り摺り込んだものもある。洞白洞水に多い。薄赤き木地裏は。木地に薄く紫上知摺り膠をひき漆にてすりたるものである。斑裏と云ふは木地を所々焼いて、膠をかけ漆で拭きたものである。河内に始まり、近江洞白長雲に多い。古作の木地裏に就いて、古能は、「真の木地裏は。是閑大和の類かと覚ゆちなり、是閑の裏は藍の類にて色を付けたるか青みあり、其外古作は木地裏勿論なり、漆にて塗りたるは後世に塗りたる物多し」と述べて居る。面を作る木は、槍を以て普通とするが、楊も桐もある。古作にま、桐があるので、後世贋物に多く桐を使って居る。心す可き事である。

 要するに。能面の目利は、・實験(経験)カ、・導問力の養成に依って、其藍奥に達する事が出来る。古能が「口伝を受け数年見て工夫勘辨あるべし」と云ったのは眞理である。永年の修養を要する。

 

 昭和ミ年十月十五日印刷

 昭和三年十月二十日発行

 〔定価壱圓五拾銭}

 著者   東京市牛込区納戸町十四番地

横井春野

 発行者  東京都牛込区納戸町十四番地

      横井光春

 印刷者  東京都牛込区山吹町五八番地

      松野清太郎

 発行所  東京都牛込区納戸町十四番地

      能楽新報

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