二、夕焼け
 登勢の主人は、朝鮮平壌府の第二百五十部隊の高級軍医であった。一九四四年五月までは、内地の某大学病院に講師として勤務の傍ら研究を続けていたが、召集されて、平壌の部隊に配属されたのだった。
 登勢もその年の十一月に二児を連れて平壌近郊の秋乙の宿舎へ呼ばれて来たのだった。
 秋乙のその辺一帯は、官舎地帯になっていて、マッチ箱の様な家が、二軒ずつ一棟になって、ヒバの生垣にかこまれて行儀よく並んでいるのだった。
 北は岩石の露出した様な赤肌の山々が樹木と言うよりは灌木と言う方がふさわしい様な矮小な松の木をわずかに置いてなだらかな勾配を見せていた。その山々に面して部隊長官舎と食堂があった。食堂では平素独身将校の食事が用意されるのであった。六十才過ぎた中村というお婆さんがそこを切盛りしていた。
 中村婆さんはでっぷりと太ったなかなかの気丈夫者で、官舎当番の兵隊さんも婆さんにかかってはかなわなかった。登勢が聞いた話によれば、昔、若い頃には左褄をとっていたことがあったとかで、小唄など仰々達者な由だったが、黒く日に焦げた婆さんの風貌からはアルキメデスでも一寸、意気な姿を推理するのはむつかしいと思われた。又大変な猫好きで、いつも七、八匹を数える猫が食堂の廻りに飼つてあって、若い兵隊さん達がいたずらをすると、さあ大変!婆さんは黙っていなかった。
 食堂舎の前の広場は砂場になっていてそこには古ぼけたブランコが二つ立っていた。街を遠く離れたこの辺ひな土地にあって、絵本も玩具も手に入らぬ官舎の子供達にとってはこの場所が唯一の遊び場なのであった。
 砂場の横手は、各官舎の家庭菜園で、各自の官舎の標識がしてあって、婦人達が或いは官舎の家族達が丹精のなすびやトマトが、思い思いに植えてあった。
 登勢は赤く熟れたトマトをちぎりながら、昨日別れた楠本夫人の上に思いを馳せていた。
 彼女は平壌の街を全然知らなかった。ここから西北へ山を越えた向う側に位置しているという位で、昔、日清戦争の時、原田重吉上等兵が一番乗りをしたという城門(玄武門)や牡丹台の事も話に聞いただけであった。
 ぼんやりと西の空に瞳を上げると、真赤な真赤な夕焼空に鳥が二羽北へ飛んで行くのが見えた。「ギンギンギラギラ夕陽が沈む!」そばで敏夫ちゃんが無心に歌い始めた。「真赤っか---空の雲、皆のお顔も真赤っかー。」

 山麓に位置した秋乙の官舎では、夜が明けるのは遅かった。「カッコー」「カッコー」とよく響く郭公鳥の声に眼を醒まされ、涼しい風が軒端の風鈴を鳴らして朝が訪れたと思う間もなく、気温は昇り始めるのだった。
 午前九時前から、もう気温はうなぎ昇りに上昇するのが常であった。楠本夫人が秋乙を出発したその翌日も、次の日も、雲一つないお天気で太陽がカンカンと照りつける食堂前の広場には部隊から様々の品物が運ばれた。米俵が運ばれ、煎った糠粉が袋で配られ、牛肉の缶詰にお醤油、お味噌、そして砂糖というふうに沢山の品物が分配された。「まあ!!こんなに沢山頂いて私宅には器(うつわ)が足りぬわ!!。」配給の僅かな米穀に代用食で毎日の食事の工夫を凝らさねばならなかった夫人達は、あっちでもこっちでも嬉しい悲鳴をあげていた。
今まで窮乏生活にあえいでいた人々にとってまるで夢の様な生活が展開された。長い間の燈火管制から開放されて官舎には赫々と灯がともり、これまでなかなか手に入らなかった酒だ、肉だ、油だの入手に歓喜した人々は天婦羅だ、すき焼だ、今日はぜんざい、明日はおはぎ、という様に来る日も来る日も頭痛がする程甘い物や御馳走ずくめだった。
 「配給物です。」の声と共に石けんやマッチまでが配給された。坂元少尉の夫人が不思議そうに口火を切った。
「ねえ、こんなにいろいろと配給して貰って敗戦になったと言うのにどうしたのでしょうねえ。」「丁度夕焼がしているのよ。夕陽の沈む前のあの華やかさだわ。」河島少尉の夫人が受けて答えた。
 夫人連中はどぎまぎして喜こんでいいのか、悲しんで良いのか分らぬ状態にあった。荷作り用の綱からテント迄配給になり、皆帰国の準備に心忙しくしていた。秋乙に居た日本人の殆んどは戦争終結のいきさつについては何も知らなかった。
 独領ベルリン西方のボツダムやクリミヤ半島のヤルタで、三月頃から四ケ国による会談が行われ、ソ連の参戦についても、ドイツの降伏以前から様々の工作がなされ、ソ連の参戦は当然の帰結であった事等も、夫人達は誰も知らなかった。ソ連にうまうまと一杯食わされている事に気の付いた者は居なかった。
 登勢も太平洋戦争で米国と戦っていたと言う思いばかりが強く、ソ連軍は接収が終れば自分達日本人を内地へ送還して呉れるだろうと楽観していた。
それに登勢は〃ポツダム宣言〃や〃ヤルタ協定〃にあった(軍人は本国に還えして平和産業に従事させる)の条項を信じていた。
戦争相手国の米国で然り。ましてソ連は日本と最近迄停戦不可侵協定を結んでいた国なのだ。ドイツがレニングラードを攻略した時も日本は攻略に加わらなかったではないか!!。内地へ帰る貨車が用意されるのも近日中であろうと誰もが思っていた。
登勢は子供達を無事に内地へ連れ帰る為に生活必需品だけを荷作りして荷物とし、道中の食糧としては容易に持てるだけのお米と、煎った糠粉、砂糖と塩を少量持ち、一日も早く遅くとも九月上旬には帰れると思っていた。後になってそれらがソ連を好意的に甘く見すぎた考えであった事に気がついた時には〃時既に遅かった〃のだが。宝の山を前にしてカシムが「開けゴマ!!」の一句を忘れたように大切な帰国の時機が逃れてしまうのをだれも知らなかったのだ。
司令部から〃帰国命令〃が出るのを待っている間にも帰国への門の扉がだんだんと閉ざされているのを、神ならぬ身の知る由もなく、果敢ない夢を結んでいた。
 二日たった昼過ぎ、登勢は大きな音がしたので戸外に出て見ると、トラックがマセック(大型の純粋無煙豆炭)を積んで、登勢の官舎の前に止まっていた。
真黒に汚れた兵隊さんが二人汗だくで、スコップを奮っておられる。ガラガラガラ。ガラガラガラ。ガラガラガラガラ!。トラックからなだれ落ちて山を築くマセック。黒い粉が舞う。兵隊さんの日焦けした肌が汗で日光を反射してキラキラと光る。
「まあ!沢山に済みません。お暑かったでしょう。どうぞお風呂で汗を流して下さい。」登勢はそう言いながら砂糖水を作って持って出た。
「いえ、ゆっくり出来ないのです。今日の中にあちこちへ運ばないと燃料廠が、もうソ連に接収されますから。」といって、砂糖水を飲むと兵隊さんは、ゆっくり腰を下ろす間もなしに一刻を惜んで、トラックにエンジンをかけると出発して行った。
平壌附近一帯は上質の炭層が沢山あってそれは近くの海軍燃料廠で、マセックに作られ特に〃海軍マセック〃という名で皆に重宝がられて、戦時中にはなかなか家庭への配給はなく、登勢などはそれまで余り見た事もない代物であった。
登勢は沢山のマセックの山を前にして、一寸持てあつかいかね気味であった。
とにかく物置ヘバケツで運ぶ事にしてスコップで掬いながら暗い予感を覚えるのであった。
「内地への帰還が遅くなるのではないだろうか。それならば燃料は大切にしないと…。この官舎で冬を迎えねばならぬのだろうか?。まさか寒くなる迄秋乙に居る事はないだろうが。おんどる(土で煉った床の下から火を焚いて室を暖かくする)を焚く頃までに帰れないのかもしれぬ……。」
様々の憶測が登勢の胸の中で真黒になって、マセックと一緒に転がり廻るのだった。
 そこへ「防寒服の配給であります。」大きな声がして見るからに暑くるしい、ボタボタした毛皮で、部厚く裏打ちされた外套がはこび込まれた。帽子も、長靴も内側は毛皮であった。それに純毛のシャツ、股下、重たい様な靴下や手袋が配られた。
今迄北満警備兵の写真でしか見たこともない様な代物ばかりである。
「うわ!すごいぞ!すごいぞ!。」長男の敏夫は大喜びで、それ等に埋まる様にして、ブルブル汗をかきながら、長靴をはいたり、外套をかぶったりするのに余念がない。汗一杯の顔で挙手をして、「当番入ります。」を繰返しているのだった。
 彼方!此方、からは酒宴のどよめきが聞こえて来る。けれども、それらの歌声はどれもやり場のない気持を、酒に紛らせた様な、何か空々しい空虚な響きを持っていた。聞いているうちに登勢は胸がおしつけられる様な気がして来た。何か居たたまれなくなって「はあー。」と一つ大きな吐息をつくと留里の手を引いた。
「ねえ敏夫ちゃん。留里ちゃんも一緒に少し散歩に行きましょうねえ。」
敏夫は防寒服をおくと、にっこり笑ってついて来た。
 型ばかりの門を出て少し西へ行くと、山一間半程の道に出る。道の両側には一ぱいに夏草が茂って、登勢の背丈程もある。おそろしくよく伸びた蓬が敗戦を思わす如くに道へ枝を出している。白や黄色に野草が花をつけて芹によく似た草のキンポウゲも小さな黄色い花を咲かせていた。登勢が夏草の道を歩んで行くと空官舎の前に、大きな日向車が。パッ!と強烈な色彩を投げて咲き誇っていた。登勢ははっ!として足を止める程の衝撃を感じた。何物にも邪魔されず、影響されぬ個性の強さを表示するかの如く、垣根から半分外へ身を乗り出す様にして咲いているこの花は、燃える様な情熱と、強い意志と、知性に満ちた信念を兼ねそなえている様に思はれた。
 彼女は自分の空虚さに比べてこの花が羨やましく思われた。これ迄登勢は〃虞美人草〃や〃フリージャ〃や〃月下美人〃の様な可憐なにおいの高い花が好きで、日向草の野性的な感覚をむしろ野暮ったく思っていたが、この力一杯の明るさと、太陽に向って真直に伸びた向日性にその花言葉の「憧れ」を感じた。気がつくとあたりは何時しか暮色に掩われて茜色の空から洩れる光が一種の絢欄さを見せて、天地の中に溶けこんで行くのが一層この花に浮き模様の様な色調を与えているのだった。
 登勢の郷里は兵庫県の姫路市から七、八里北へ行った処にあった。小学校を卒業して姫路の県立高女に入学した彼女は、寄宿舎の寮の窓から、又は体育場の窓から西の夕焼空に聳え立つ白鷺城を眺めながら、「故郷愁し!」「父母恋し!」の涙を流したものだった。夕焼空を見る度に登勢は夕日に映えて聳えていた真白な七層の楼の優美な姿がまぶたに浮ぶのだった。
お城の周囲の姫山には鳥の古巣があるのか沢山の鳥がお城の上を舞っていたものだ…。此の度の戦争でお城は焼けて無くなったかも知れない。いや、お城だけでなく、姫路の古い城下町も懐しい女学校も何処もかしこも焼野が原かも知れない。
けれどもたとえ姫路全市が焼野が原になっても登勢のまぶたからは、彼女が少女時代に望郷の念を胸に遥かに見上げた城!茜色の夕映の中に美しく餐えたっていた白鷺城の姿は消える事はないであろう。
 姫路には登勢(長女)の妹の百代(三女)が住んでいた。その頃百代は(嫁ぎ先の姫路市北東郷町)京口台に立って、空虚な思いで西の夕焼空を眺めていた。
 七月三日夜の空襲による焼夷弾で市街の高い建築物の殆んどが焼かれてしまった今は、何一つさえぎる物もなく遥か彼方!ニキロ余り先に、西本願寺の亀山御坊さんのお寺の屋根が、ぽつんと見られるのだった。
 六月二十二日朝八時頃、敵機は姫路市北東郷町の川西航空廠を目標に襲って来た。B29が三機ずつ編隊を組んでの波状攻撃は全て昨日の事の様に思われて爆発音が耳の底に未だこびりついているが、あの日の五十K爆弾による爆撃はすさまじかった。
 晴れ渡った大空に爆音を高く響かせてB29が近づいたと思うと、防空壕の中まで内臓が裂けて眼の球が飛び出たかと思う程の衝撃を与えて爆弾は炸裂した。
 その度に多くの人々が、一片の肉塊となって又は爆風に飛ばされて爆死した。何回も波が寄せる様な繰返しての爆撃に、広大な川西航空廠も完全に壊滅した。
 何度も、「今度こそはもう駄目だ!!。」と思ったが幸いに百代は九死に一生を得ていた。田圃の眞中にあった百代の家は直撃と類焼をまぬがれたものの、ガラス戸は全部破壊され、屋根瓦は総て位置を変えていた。
一時間半程して空襲は解除されたが、京口のあたり一帯は炎と煙の渦であった。
 姉の登勢や紀代(次女)や百代達の懐しい母校もその時に灰燼と帰したのだった。百代の視野に唯一つ焼けずに残った国宝姫路城が戦火の中大阪城から逃れた千姫の面影を偲ばせて、夕映の空に聳えていた。その天主閣の上を、沢山の鳥の群が赫々と燃える様な夕陽を受けながら乱舞しているのだった。
 登勢は思い出多い、様々の夢を育くんでくれた母校が全焼した事など露知らず心に白鷺城の夕映を思い描いていた。
その時速くから段々と近づいて来た歌声が空官舎の横手から姿を現わすとそれは陸士出身の若い島村中尉であった。アルコールのにおいをプンプンさせながら浴びる程に酒は呑んでも酔いしれる事の出来ぬ暗い虚無的な悲しみに満ちた顔であった。
 中尉は両眼から涙をポロポロ落しながら大声で「天皇陛下にだまされて!!無条件降伏、今日の身は、滅私奉公何たるか!。」と全身で拍子を取る様にして大声で歌っているのだった。彼は登勢を見て足を止めると首をうなだれて、「奥さん!残念です。私はだまされていました。」挨拶ともつかずそういうと矢張り歌いながら左手を腰の軍刀において、思ったよりもしっかりとした足どりで去って行った。
 夕焼雲の反射を浴びつ、遠のいて行く若い将校の後姿を登勢は悲痛な気持で見送っていた。

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