播磨風土記の原文は漢文(全部漢字)です。播州弁訳の作成に、小学館1997年発行新編日本古典文学全集5 植垣節也校注・訳の「風土記」を主として、その他、岩波書店発行日本古典文学大系「風土記」、岩波文庫武田祐吉編「風土記」、姫路文庫・谷川健一監修・播磨地名研究会編「古代播磨の地名は語る」等を参考にしました。

明石の郡あかしのこおり(明石市、神戸市垂水区・西区)

明石大橋がでけて、阿波から播州へ行きやすうなった。

 明石あかしの駅家うまや。駒手こまでの御井みい(井戸)。難波なにわの高津たかつの宮の天皇(仁徳天皇)の頃に、おーきー楠の木がこの井戸の側にそびえとって、朝日が照らした木の影は淡路島あわじしまを覆おおい、夕日になったら大和やまとの国を覆おおったんや。そいで、その楠を伐ったって、ごっつい船を造ったったんや。その船は鳥が飛ぶみたいに速よーて、一漕ぎするだけで七浪なななみも進むもんやから「速鳥はやとり」と名付けたったんや。この船で、天皇さんの食事用にこの井戸の清水を朝夕、難波なにはまで運んだんやけど、ある朝、食事の時間に間に合わんようになって、しゃーないから歌を詠んで、もう清水を運ぶことを止めにしたったんや。「住吉すみのえの 大倉おおくら向きて 飛ばばこそ 速鳥はやとりと云はめ 何ぞ速鳥」。(夏至の日の出、日の入りは東西より北に約24度。巨木の影は淡路嶋よりも小豆島にかかる。大和盆地から明石までの間に遮る山が無いと仮定して、この巨木の高さはいくら?。ヒント:地球の円周は40万キロ、明石と奈良は直線距離で70キロ。三角関数が必要です。)

明石の記事は一部しか残っていません。本の最初に書かれていて、ページがちぎれて無くなったと考えられています。赤穂の記事は全くありません。赤穂は播磨の国ではなく吉備の国との説もありますが、どうなのでしょうか?。

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