十、裸木
登勢はクリスマスが無事に過ぎたので、元自分達の住んでいた二〇二号官舎へと出かけて行った。空は晴れていたが、冷たい風が吹いて身を切る様な寒い日であった。敏夫と留里に手袋をはかせ、留里を背負い、敏夫にオーバーを着せて、食堂跡と向いあった広場の菜園を東へ通り抜けて歩いて行った。広場の砂場のブランコは二つともこわれ、柱木の杭が一本だけ佗しく残っているのが寒々として登勢達の眼に映った。広場横の菜園は、真赤なトマトを稔らせた四か月前の端正さは微塵もなく荒れ果て、俗に盗人草と言われる草や、芝草が枯れたまま半分は赤土に凍てっいているのだった。雪解水が再び凍りついている様な所をさけて枯草を踏み踏み菜園を通り抜けて石段を下りると、二〇二号官舎のある通りなのだった。石段を下りてそのまま東へ二〇米程行くと登勢達の元の住居だった。ひばり生垣の側の門を入ると敏夫が嬉しそうに声をあげた。「此処は、僕達の家だよ!留里!。」登勢は慌てた。「今は違うのよ!。ロスキーの家なのよ。」留里が「キー(ロシヤ人)のとこ(住家)ね。」と言ったので登勢は黙ってうなずいた。登勢は四か月余りの何もかもが悪夢の様に思われ、今、留里を背負い、頭髪をざん切にして暗幕で作った木綿の黒い上っ張り姿で勝手口に立っている自分が信じられぬ気がした。
さっと吹きつけた寒風に登勢は再び現実に還った。
「さあ敏夫、ノックして頂戴。」
「ドヴラヤジェニー。」敏夫がノックをすると、「スドラアスチェ」と応答があって、内から扉が開いた。クルクルと丸くて青い目をしたキューピーの様な可愛いい顔の当番兵が顔を出した。当番兵は登勢の顔を覚えていた。
「オー、イジスダー(こちらへいらっしゃい)。」と招じ入れられた登勢は、敏夫と留里の手袋を脱いで、敏夫のオーバーも脱がせ、暖房のきいた暖かい官舎へ入った。以前、夫の岡田軍医と親子四人が、まる拾か月余りを楽しく暮した家!。留里が象牙の箸を落し込んだ襖の穴!。敏夫が新しく覚えた字を書いた壁の落書!。懐しい様々の事柄が、思いとなって登勢の胸に込みあげて来た。その時〃おんどる〃の部屋から背の高い(身長一七五糎位)のがっちりした体格の曹長と、その夫人と思われる矢張り背の高い(身長一七〇糎位)の色白丸顔の若い美人のマダムが現われた。
「ミニヤザヴォート、オカダ。」登勢が名のった。
「ミニヤザヴォート、クチヤカ。」マダムが言った。大男の曹長は、「バーシャ」当番の少年兵は「マルキン」と皆明るい笑顔で紹介しあった。
部屋のペチカの火は音をたてて快く燃えていた。玄関と台所(勝手口から入って)との両方に通じた部屋はテーブルを置いて同居人皆の溜り場の様な役目をしていた。〃おんどる〃の部屋からラジオの音楽が流れて来ていた。ラジオが歌声に代った。登勢は聞き耳を立てた。パーシャがボリュームをあげた。それは有名なロシヤの世界的美声のバス歌手シャリアピンがよく歌った歌、戦前に来日した彼が歌って日本でもよく知られている〃ボルガの船歌〃であった。〃あ、あ、あれはー〃。クチャカアマダムの方を見て思わず登勢が言った。「ヴォルガリカー、シャリアピン?。」クチヤカア(マダム)とパーシャ(曹長)は目を輝やかし微笑しながら顔を見合わせて「ダー、ダー。(そうだわ、そうだわ)」「ダー。シャリアピン(そうだよ、シャリアピンだ)。」と同時にうなずきながら言った。
その時、玄関の扉が〃ガタン〃。と鳴ってカピタン(将校)が帰って来た。登勢は官舎を逐われた時一晩の猶予を呉れたカピタンの恩儀に対してのお礼の気持もあって「ドヴラヤジェー二-(今日は)。」と云って頭を下げた。横で恥かしそうにしながら敏夫も頭を下げた。留里は何も判らずに一緒に頭をコックリとした。カピタンは「ばっ」と思い出した様子で登勢を見てそれから敏夫を見た。そして『好い子』と云う風ににっこりとして頷いた。カピタンには敏夫が、死んだ息子を思い出させた。カピタンの胸に潮が満ちる様にどっとこみ上げるものがあった。一瞬さっと頬に淋しい憂愁の陰が走った。カピタンは一言も云わずにくるりと踵を返すと自分の部屋(八帖の床付日本間)へ逃げる様に入って行った。
カピタンは登勢親子を見るのが辛かった。自分の書斎兼寝室へと入って行くカピタンの後発を目で逐いながら、いぶかしげな顔をして突立っている登勢は、横からクチヤカア(マダム)が「イポーザーホート、ジンジャー。(彼はシンシャと云うんです)。」と教えてくれた。
八帖の日本間がカピタンジンジャーの部屋で、〃おんどる〃の部屋はパーシャ夫妻の部屋であった。曹長は最近以前から欲しがっていたラジオを手に入れたのだった。丁度登勢が来たのは、夫婦でそれを鳴らしている時だったのだ。登勢がシャリアピンを知っている事が彼を一層上機嫌にしていた。彼は嬉しそうに登勢に話しかけた。
「トルストイを知っているか?。」
登勢は憲兵曹長に逐い駈けられてからは、何時狼に豹変するかも知れぬソ連兵を信用していなかったのでマダムに向って答えた。
「アンナカレーニナ。トルストイ。カチューシャ?」
すると話をパーシャが引き取って、
「ゴーゴリー。ドストエフスキー。ショーロフ。ゴーリキ。ツルゲーネフ。チェホフは?。」
と矢次ぎ早やに問いかけて来た。ゴーリキの〃どん底〃やドストエフスキーの〃罪と罰〃等。それは登勢が少女の頃読んだものであった。けれど主人公の名前や、チェーホフの「桜の園」や「犬を連れた奥さん」の小説に出てくるヒロインの名前は急には登勢の頭に浮かんで来なかった。僅かの名詞と挨拶のロシヤ語の断片しか知らない登勢には、こみ入った話は出来なかった。
マダムに「ブラート、カラマゾフ」「チェーホフ、ヤポンさくら」
と云うと、
「チェーホフ。さくら。チェーホフ。さくら。」とパーシャは繰返した。パーシャは日本の名もない一婦人でも知っている位、国際的に有名な歌手やレベルの高い文学者がロシヤに沢山ある事が誇らしかった。マダムは絶えずにこにこしていた。パーシャは満足気にマダムの方を見ながら笑った。そして何か自分も知っている日本人の事を云わぬと悪いと思った。登勢の方へ向かって、
「松岡ヨースケ、ハラシヨー(好い。偉い)。」と云った。松岡洋右(国連の軍縮会議に日本全権大使として出席、米(5)対日(3)の比率を日(3,5)を主張し、談判決裂を見るや席を蹴って退場。日本は国連を脱退した。)は、登勢の少女時代に日本が軍国主義一色に彩られようとしていた頃、全権大使として国際的に活躍していた人であった。バーシヤは今度は、
「トーゴーヘイハチロー」と云って、登勢の方を見て
「ヤポンハラショー。」と云って笑った。登勢が
「東郷平八郎。ヤポン、オーチンハラショー、ロスキー、ニハラショー(日本には大変よくて、ロシヤには悪いわね)。」と云うと
「ワァハッハッ」と笑って
「マツオカヨースケはどうか?。」と尋ねた。
登勢は、マダムとパーシャを等分に眺めながら
「松岡洋右は、ロスキー、ヤポン、トーゼハラショー(ロシヤにも日本にも同じ様に良いでしょう)。」と云うとパーシャは気を善くして、
「松岡洋右ハラショー。東条英樹ニハラショー。」と云った。
登勢は突然に東条首相の名が出たので驚いたが知らぬ顔でマダムに向って今日来た用件を切り出した。
「私がお勝手の隅に置いていた炒り糯粉を持って帰っても良いでしょうか?。」と身振り手まねを混えて云った。
マダムは訝しげな顔をして
「マルキン、シト(何の事でしょう)。」と云いながら立ち上って台所を覗いた。登勢がもう一度ゼスチャーをくり返して云った。暫く考えていたマルキンが、台所の上げ蓋の下から糯粉の袋を持って来てくれた。
「トイガバリイチェ、エタ(貴女が云うのはこれの事か)?。」
「ダーダー(ええ)。」
合点合点しながら登勢が背の高いクチヤカァ(マダム)を見上げる恰好で・「エタ.ダイチエポイジヨム、ヤ、ドーマ(これ私の住居へ持って帰っても良ろしいか?)。」と聞くと、マダムがにっこり笑って頷いた。登勢は、
「スパシーバー(有難う)。」と軽く会釈をして粉袋を持って部屋を出た。
台所の流しには半分凍てついたじゃが芋があった。マルキンは台所へ来ると不器用な手付でじゃが芋の皮を剥き始めた。ナイフで皮を剥くと云うより切る様な調子で、それは全く指を切りつけそうな危なっかしい手つきであった。それを見ると登勢のおせっかいの虫がむくむくと首をもたげた。マルキンからナイフを借りると、冷たい凍り解けのじゃが芋をくるくると剥いていった。皮を剥かれた小粒の芋は、まるで生まれたての鼡の子の様にうすい赤味を帯びて転がった。
じゃが芋を剥き終えた登勢は敏夫に、
「トシちゃん、もう帰ろうね、オーバを着なさい。」と帰り支度を始めた。
マダムが、
「ザフトライヂーチェ(明日もいらっしゃいね)。」と云った。
「お仕事はあるでしょうか?。」と登勢が聞くと、マルキンが、
「ラボート、モノーガイエズチ(沢山お仕事はあるから明日もおいでー)。」と云って茶目っぽく肩をすくめて笑った。登勢はロシヤ人に対して固く武装していた心が、マダムやマルキンの明るさに少しずつほぐれてくるのを感じた。
「ダスビダニヤ。」
「ダスビダニヤ。」
勝手口から一歩戸外へ出ると思わず首をすくめる程外は寒かった。
冷たい風が頬にも指先にも痛い程だった。
官舎の裏手の棗の木も小梅の木も、路を距てたすぐ東側の原軍医の官舎の横にあるポプラの木も寒風にすっかり葉を落としていた。ポプラの裸木は天へ向って細長い枝を伸びるだけ伸ばしていた。厳しい風がポプラの長々とした細い梢を掠めて吹きすさんだ。登勢は寒風に吹かれる裸木に子供を連れた自分の姿を見る思いがした。小梅の裸木も花開く春を迎える日の為に若葉や花の芽を大切に抱いて強風に耐えているのだ。たった一枚の葉すら止めぬ裸木に風を受けつつも全身で耐え新しい生命の息吹きを育くんでいる小梅の樹!
強い感動が登勢の全身をかけめぐった。
今日の寒さでは夜には雪となるかも知れない。雪だろうが風であろうが、決して挫けてはならぬのだ。いたいけな子供への愛情が新しく力となって涌いてくるのを登勢は感じた。留里を背負って右手に糯粉の袋をさげ、左手は小さくて冷めたい敏夫の手を強く握りしめながら凍てついた小ジャリを踏みしめ踏みしめ登勢はぼろ官舎へと帰って行くのだった。
旧二百五十部隊の家族の住む二軒一棟のぼろ官舎では年末のあわただしさもなく、迎春の準備もなく年は暮れた。夫人達の胸には、これから迎える寒を思っては、吹雪に暮れる嵐ケ丘のヒースから吹き上げる風の様に冷たい物が吹きあれていた。乾いた涙の谷には、生活苦と不安があった。
小麦粉と糯米粉のだんご汁でお正月三日間の祝儀をすませた夫人達は、その日も帰国について取沙汰をしていた。柳沢夫人が云った。
「本当に困っちゃうね。十月から十一月にかけて兵隊さん達は、どんどん帰国したと云うのに私達は何時帰れるんでしょうね。」坂元夫人が、
「こんなに何度も何度もだまされて十一月中には、いや年の内には帰れると嘘ばっかりだものね。お正月もどうにか過ぎたけれど、このまま北鮮で飢え死にするのは厭ねえ。」すると鹿児島生れの橋口夫人が云った。
「岡田さんとこは独りみたいなものだけれど、私どこは了も浩も食べ盛りだからね・それにソ連軍の使役に行く男の人(舟元元上等兵)に不自由させられないしね。生きる事が大事業なのよね。」
家族の中にソ連軍の使役に行ける人が居ない登勢は黙って俯向いていた。登勢の沈んだ顔色を見て上敷領夫人が、
「私達の帰国が遅れて、内地ではもう死んだと思って先に帰った主人が後妻を貰っていたらどうしましょう。」
と話題を変えて大きな目をぐるぐる廻しておどけた表情をした。坂元夫人が、
「そりゃー、どうもこうもないわ。〃長い間留守をしましてお世話をおかけ致しました。御苦労様でした。只今帰りましたからお引取り下さい〃といってさっさと家へ入れば好いわ。」
と云ったので、後は空虚な笑いとなった。それとなく登勢をかばってくれる上敷領夫人や坂元夫人の友情が登勢には嬉しかった。橋口夫人は橋口少尉(獣医)との結婚が遅かったせいもあって、子供の年が小さい割にもう年配であった。年令は登勢達より10才上の36才であった。鹿児島生れの気丈な婦人であったので、登勢達には一寸煙たい存在であった。
それに登勢の持っている衣装は、染柄や色に凝性の母が選んで作っただけに、色彩が鮮やかで何時も特別に高く売れた。橋口夫人や坂元夫人の衣装は、年令のせいもあって地味なので、ロシヤ人も地元民も余りかんげいしないで、若向の着物を慾しがった。河島夫人や登勢の物は洗って干してある物まで買いに来た。暮れには登勢の洗い晒しの単衣のネルのねまきを85円で無理やりにも買って行ったが、橋口夫人の袷の大島紬は15円にしか買わなかった。大島紬の羽織と着物と両方が30円で卵10ケに替ったのだった。
地元民はよく卵(タルガル)やりんご(ヤヴオツカーヌング)を持って「パッカウ(交替)パッカウ。」と云って来ては商売をして帰って行った。
鹿児島生れの橋口夫人はお風呂の順番も特別にうるさかった。最初にお風呂に入るのは男性の最年長者樗木から舟元、小吉上等兵と云った順で男達が全員終ってから夫人達が入るのだった。同じ棟の東側のぼろ官舎では、西側のぼろ官舎の男尊女卑と違って男女同権で揉めていた。
東側官舎の芦田夫人と寺本中隊長夫人は、どちらも子供がなく、男の人の人数の足りぬ町は、ソ連軍の洗濯場へ行ったり炭坑へ行ったり使役に行く事が多かった。仕事から帰って来た芦田夫人と寺本夫人は足や腰が冷えて寒いので早くお湯に入りたいと思った。
芦田夫人は、以前、左褄をとって売れっ子であったのを、芦田中尉が、本妻(船場の御寮さんで子供が多い)の代りに北群へ呼んだ人であった。美しい顔立ちであったが、勝気さと誰にも負けまいという気負いが、顔に現われて眼元に一寸剣があった。
「どうしましょう。男の人達が三人人って居られますわ。」
と言って尻ごみする寺本夫人を、
「何も遠慮する事はありまへんでっしゃろう。早ようお風呂に入りまほう。」
と強引に誘った芦田夫人は、
「かましまへんでっしゃろ。」と浴場の戸を開けた。
「あつ!。」
入浴中の岸上、中塚、飯田の三人の伍長は驚いた。
「一緒に、お風呂に入らせて貰いまっせ。御免します。」
と云って、いきなり浴場へ素裸体の二人の夫人に入って来られたのである。
肌と肌が触れ合わぬのが不思議な程の狭い浴場に混浴は無理であった。
二人の女性は、とにもかくにも、元上官の夫人なのである。いまいましくはあったが、三人の伍長は、そうそうにお風呂から飛び出したのだった。しかし西側の官舎には、そんな勇敢な夫人は居なかった。
柳沢夫人も登勢も、終り風呂の方が、ゆっくり出来て好きだった。
物置小屋のトタン屋根の軒には、20・程のつららが、下りっぱなしで短い日なのに、一日がまるで牛の歩みの様にゆっくりと過ぎてゆく成日の夕方だった。
坂元の清と一緒に外で遊んでいた敏夫が表から駈けこんで来た。
「清君のお兄さんが、今、ロスキーの処で大きなパン一本(三斤を貰って来られたよ。
お美味しそうなパンだよ。今に僕が坂元君のお兄さん位に大きくなってロスキーのところへ当番に行って大きなパンを貰って来るからね。お母ちゃん。何も心配しなくても好いよ!。」
「えつ何?。」と云ったま、登勢は言葉が出て来なかった。横に居た柳沢夫人が
「まあ!坊やがそんなに大きくなる迄こんな処に居るのは大変だわ。」
幸子も驚いて編物(配給の軍の毛糸の防寒シャツをほどいて糸を作って2本取で編んでいた)の手を止めて微笑した。登勢は笑えなかった。敏夫がいじらしくて、溢れそうになる涙をこらえて、
「敏ちゃん、母さん何も心配していないよ。食物を買うお金もまだ沢山あるし、子供は心配しなくてもいいのよ。」
と云って留里と敏夫の手を取った。
この小さくて柔らかい手でパンを稼ぐ為に、ソ連兵の当番に行こうという息子。
「ねえ、心配しなくてももうすぐ帰れるのよ。お兄ちゃんと留里も一緒に帰りましょう。」
と半分歌にして二人の子供の手を揺さぶった。
柳沢夫人が「敏夫ちゃん、おうどんを作っちゃおうよ。〃上州名物嬶天下に空っ風。うどん作れぬ半人前〃と云うのよ。」
と云ってうどん作りを始めた。
「貰うのも悪いから教えて貰って私も作りますわ。」
と登勢もまねて、うどんを作ったが短く切れてしまって、柳沢夫人の2分の一位の長さで色の黒いメリケン粉で作ったうどんはまるで、〃どじょう〃の様な恰好の半人前のうどんが出来上った。同じ黒い粉でも〃うどん作りはお嫁入りの資格の一つだ〃という柳沢夫人は、さすがに上手であった。夫人の郷里は群馬県で国定忠治で有名な赤城山のある上州なのだ。柳沢夫人の作ったうどんを食べながら栄子が「お母さんまるで太ったおそばの様なおうどんね。」
というと敏夫が、「僕とこは〃どじょう〃なんだよ。」
と言ったので、大笑いになって賑やかにどじょう汁の様なうどんを食べた。
うどんの夕食が終った後で柳沢夫人が、
「樗木さん!!何か善い事があったのですか?。」と云うと幸子も、
「本当に小父さん何か嬉しそうね。」と云った。登勢も樗木の方を見ると全で含み笑いをしている様に頬の筋肉が何となくゆるんでいた。
皆に見つめられて樗木は少し照れた顔になって、
「いやー別に何と云う程の事では無いのですが-。今日以前の電気会社の友達のところへ寄って来ましたのでね。その友達は極秘で短波のラジオをかくし持っているのです。そこで情報を少し聞いて来ました。」
と云って声をひそめた。すべての情報から完全に閉め出されている登勢達は息を殺して次の言葉を待った。
「誰にも云わないっもりだったのですが、実は昨年の十一月から支那では革命が起きてソ連国境の辺で戦争が起こり、又十二月末には、鴨緑江をはさんで小さないざこざもあったらしいです。ソ連側も国境警備の為、軍の移動等で忙がしく、日本人抑留者の我々の事などかまって居れなかったらしいです。けれど革命軍が勝って満州の方へ戦地が移動して国境は平穏を取り戻した由です。東南アジアでもラオスやあちこちで内戦が起きているそうです。自分達は紀元節二月十一日の頃には還れるのと違いますか?。でも相手がロシヤの事、だから何とも言えないですが-。」
故国日本へ還れる!!。その思いに柳沢夫人も登勢も自然に顔がほころんだ。柳沢の坊やと留里は訳も判らないのにはしゃいで部屋の中を走り廻りはじめた。