十一、夢幻(新雪)
 空っ風が吹いて雪の少ない秋乙にも年が変ってからは度々雪が降った。内地の雪は花弁の散る様に、冷たくてもアイスクリームに似て初恋の甘さを含んで舞いながら落ちるのに、秋乙の雪は悲哀が苦汁となって凝固した様だった。雪は積もったり、消えたりしながらも凍った。積もった雪も雪だるまを作ろうと丸めて転がしてみてもくっつかないので、手で圧しかためるしか無いのだった。内地の雪にはふうわりとした柔らかい真綿の様な優しさがあるのに、北鮮秋乙の雪は冷たく酷しく、夢幻を擁する情緒にも欠けていた。内地の白梅紅梅の古木に亦土塀や門かつぎの松に綿をのせた感じに積もる雪では無かった。氷を削った様な雪は赤土を剥出した禿山にふさわしい雪であった。降り積もった雪を見ても、何を一つ見ても無闇に日本が懐かしかった。登勢は大声をあげて「お母さん!!」と泣きたい衝動に一生懸命耐えていた。
 登勢等親子三人には凍った雪を踏みつけながら、二百二号官舎へと通うのがいつとなく日課の様になっていた。そこでは登勢は先住者の「ドクトルマダム岡田奥さん!」であったし、敏夫は愛称(トシシャン)留里は愛称(ルリシャン)であった。快い音楽の流れる暖房のよく利いた官舎で登勢は働くのが楽しかった。
 クチャカーマダムは外人特有の舌足らずの呼び方で「ルリシャン」「ルリシャン」と留里を可愛がって呉れた。
マルキンやバーシヤ曹長は敏夫をとても可愛がってくれた。
そこには人種の差別も戦勝国、敗戦国の区別も無かった。あるのはほのぼのとした暖かい人間同士の友情であった。
進駐当時の汗くさい飢えた狼はもうそこには居なかった。そこに居るのは唯人情厚い素朴な人達であった。
 留里と敏夫が可愛がられる事が登勢にとっては何より嬉しい事であった。敏夫は僅か七冊の、自分の持っている全部の絵本(童話も)を何時も袋に入れて提げ歩いていた。そして殆ど空んじてしまっている絵本や童話を何度も繰り返しては読んでいた。
留里はおとなしい児で静かに敏夫の読む本を聞いていた。
 五才と二才の三つ違いの兄と妹は、或時には、近しい骨肉として、又或時は幼い親友同士として信頼と愛を寄せあっていた。何時も小犬がじゃれる様に一緒にころころと遊んでいるのだった。その傍で掃除や洗濯をする事は登勢を非常に元気づけてくれた。働くことがともすれは沈み勝ちな気持を明るくひき立てるのに効力があった。
登勢は報酬はどうでも良かった。寒々として生活苦の匂いのするぼろ官舎の一室で、じっと虚しさに耐えて居るよりも、子供がのびのびとして親子三人が明るい気分で時間を過ごせる事が得がたい仕事の代償であった。
 楽しそうに仕事をする登勢に向って、マダムクチヤカア准尉は何度も云うのだった。「奥さん!!妊娠中の大切な体だから仕事をして呉れるのは良いが、重い物を持ったり、無理をせぬ様にね。」
登勢は「ス。ハシーバー(有難う)」との一言しか言葉を知らなかった。
登勢がペチカの掃除をすると燃えがらや、マセツク(絶無煙の大き目の豆炭で暑い夏の日、汗水をたらして小屋へ運んだ物)等、重い物は全部マルキンが運んで呉れた。洗濯をする時はお湯を沸かすのに、マルキンが燃料をどしどしほりこんでお風呂の湯をどんどん沸かして呉れた。洗い終った洗濯物は四斗樽に入れて置くと戸外ヘマルキンが運ぶのだった。綱を雪の積もった戸外に引き渡すのもマルキンの仕事で、洗濯物を干すのは登勢の仕事だった。登勢はまるで当番兵の付添がついた掃除兼洗濯婦であった。
 その日、登勢が仕事を終えて帰ろうとしていると「ドラースチ、クチヤカー。」
よく透る声がしてマダムターニャが活溌な足どりで入って来た。軍医準医マダムターニャは、クチャカマダムの同輩であった。ターニャは登勢を見ると、
「日本が戦争に負けて奥さん苦労をしますね。ロシヤがゲルマン(ドイツ)に攻められた時は、ロシヤでも食べ物がなく、。パパが木を削ってそれを食べて私達も露命をつなぎました。戦争があれば女は苦労します。日本奥さんもロシヤマダムも戦争は大嫌いです。戦争で困らないのはアメリカマダムだけです。『日本奥さん。ロシヤマダム。戦争反対です』熱心な口調で身振り手振りを混えて一息に云った。そこまでは良かったが後が悪かった。クチヤカアの横に居た留里を抱き上げると云った。「岡田奥さんはもうすぐ赤ちゃんが生れるから、このドーチカ(女の子)一人売って貰えないかしら?。お金が要るでしょうから沢山お金を払うから。」
言葉は判らなくても気配で察したのか、
「駄目、あかん!。」絵本を入れた袋を放してとんできた敏夫は、顔色を変え、ターニャを睨んで不安そうにつっ立った。
敏夫のけんまくに留里を下ろしてターニャは、一心に云った。
「クチヤカーは五月にエレビョーニカ(赤ちゃん)が生まれるし、奥田奥さんはもうすぐ生まれるし、私も子供が欲しいわ。女の子がほしい!。」
登勢は驚きで言葉が出て来なかったが、急いで留里を抱いて、
「ニエト、ニエト(駄目駄目)。」
と頭を横に振った。クチヤカー准尉もあわてて、
「そんな無茶を云うものではないターニャ。パジヤルスター(済みません)奥さん!。」と間を取りもってくれた。ターニャが少ししよんぼりして照れ笑いをしたので、登勢も敏夫の頭を撫でながらほっとした。
 帰りの道で広場の雪をふみながら、敏夫は念をおすように、
「お母ちゃん。留里はロスキーにあげないね。」
と云った。
登勢は「ああ。誰にもあげないよ。皆で一緒に内地へ帰ろうね。」
と返事をしたもの、ソ連側からは何の通達もなく依然として何時頃に帰れるか全然当はないのだった。
 引越にしてもすべて突然に発令され、まるで突風に吹き荒らされる様に官舎を出るのであってみれば、今更その遣口に変りがある筈もなく、ソ連側の考えなど、名探偵シャーロックホームズにも解けない謎であった。??。
「岡田さん!。お元気?」
美しい声が聞え、我に返った登勢が顔を上げると、栗原小巻に似た容姿の天野砲隊軍医原大尉の夫人が五米程前方に立っていた。
「ええ、お蔭で-。」
原夫人の官舎は二〇二号官舎と道を挟んで東側であった。すぐ北上がソ連の憲兵隊長の官舎のせいか、憲兵隊長を敬遠して引越もなく四世帯同居で静かに暮しているのだった。
 地元民もおそれて余り物売りに来ないので、原夫人はその日卵を買いに少し先の道路まで出向いた帰りであった。
 彼女は育ちの良さから来たこだわりの無さと、登勢とは同県人と云う親しさもあって、登勢がぼろ官舎へ移る以前は良く行ったり来たりしていたのだった。地元民にふとん袋を持ち逃げされた登勢は、原夫人に掛ふとんを一枚借りていた。酷寒の北鮮の冬には一枚の掛ふとんでも登勢親子がどんなに暖かく包まれている事か!。
登勢はふとんの暖かさ以上に原夫人の友情の暖かさに感謝していた。
原夫人は兵庫県の神戸女学院出身の才媛であった。彼女にも敏夫位の坊や(公一)と一才を過ぎた女児(明子)があった。
「何か良いお話有ります?。」という原夫人の問いに登勢は黙って静かに首を横に振った。原夫人は登勢のお腹に目をおとして、「奥さん、無理をしては駄目よ。」
「え、有難う。」大寒に入って内地でも寒い季節なのだ。割合に暖かい日だったが、晴れやらぬ曇り空から思い出した様に強い風が吹きまくった。
〃お互いに体に気をつけて元気で子供を連れて帰りましょうね〃
そんな思いが云わず語らずに合言葉の様に、原夫人と登勢の胸の中を往復した。
「じや!」
「子供二人に留守させてますので……。」
「さようなら。」
「さようなら。」
 折からの風が積雪を吹き上げて雪を散らした。雪は散りながら、別れて帰って行く原夫人と登勢親子を包んだ。
 その夜原夫人は女学生の頃の夢を見ていた。それは長閑な春であった。
 彼女の母校神戸女学院は西宮市岡田山にあった。自然を活かして美しく整備された小さな岡の様な山は、松の木や山椿やつつじ、すみれ草迄が優雅な調和をみせていた。山上の校舎と校舎をつなぐ道の両側の桜並木には、折しも満開の染井吉野が欄漫と咲いていた。テニスコートでラケットを持った友人と話していた原夫人が、ふと見るとコートの横の広
々と広がった芝生の向う側に、子供を連れた登勢が大きなお腹を抱えて細っそりとした撫肩を落し、悲しそうに立っているのが眼にうつった。原夫人が駈けて行こうとすると登勢は、芝生から桜並木へ子供の手を引いてさっさと歩いて行くのだった。
 登勢達親子の上に桜花が散りかかって、花弁が落花の吹雪と舞った。
 見る見るうちにそれが本物の冷たい真白な雪となって登勢達にふりかかって行った。「岡田さん!」
原夫人は呼ぼうとして目が覚めた。すると女学院の桜花も、広々とした芝生も一瞬に消えて、身を横たえているのは殺風景な北鮮の官舎の一室であった。二人の子供の母を信じ切った安らかな寝息が原夫人の胸に迫って来た。
ぽろりぽろりと大粒の涙が静かに夜着を濡らして行くなかで、夫人は出産をひかえた登勢の事を考えた。
 〃岡田さんとこは今からもう一人歩ちゃんを生まねばならぬのだ。三人を連れて…。内地は遠い〃
登勢の事を思えば原夫人は涙の中から勇気が湧いて来るのだった。
 登勢もその夜夢を見ていた。〃どうかして早く内地へ帰りたい。お産迄に帰りたい。〃という思いの為か、それとも佐々木の逃亡の事が頭にある為か、山道を敏夫の手を引いて留里を背に、黙々と歩いていた。突然!何処からか「ソ連側との引揚交渉が挫折した。駄目だ。引返せ!。引揚は未だ早いと言うモロトフ外相の命令だ!。ここから引返すのだ!。」と言う声が聞こえて来て、元の食堂舎(燃料にする為に取り壊した。)前の広場から山の暗い洞窟(戦時中の防空壕)へと引返して歩き続けていた。〃如何しても内地へ還らねば。〃と夢の中で登勢は思っていた。そして「留里はロスキーにあげないよ。皆で一緒に内地へ帰ろうね。」と言いながら只管薄暗い道を歩いていた。そのうち何時の間にか夢は消え深い眠りにおちていったらしく、翌朝登勢が眼を覚ました時には、もう朝日が射していた。
 夜中からしんしんと降り続いていた雪は二十センチ程積んでもう降り止んでいた。積った雪が朝日を反射して眩しく輝いているのを見ると、登勢は昨年の樹氷を思い出した。昨年(昭和二十年)の大寒は異常な寒波が秋乙を襲って登勢の居た二〇二号官舎の樹木も度々美しい樹氷をつけたものだった。
 小梅の裸木が震える様な寒さの中で、枝一杯に樹氷をつけて、射し昇る朝日にダイヤモンドの様に輝くのを、夫と一緒に眺めた日の感激が新しく登勢に甦えって来た。
 樹氷は丸でこの世のものとも思われぬ程美しく、キラキラと輝いていて、それは束の間の夢幻の世界であった。
 それにつけても夫の岡田元軍医大尉は、末だ三合里の廠舎に居るのだろうか??。
〃内地帰還〃という日本人の誰もが飛びつく名目で、健康な将兵達から順番に三合里を出発したと云う事だから、三合軍廠舎の医務診療所で、残留兵士や病兵の治療に当って居るのだろうか?。ボロ官舎の夫人達には夫達の居所も消息も、何もかも一切が判らず、全然雲をつかむ様で知る方法とてないのだった。
 「今頃は半七さん。何処に如何してござろうに?。」そんな浄瑠璃の言葉の一節が、登勢の胸の中で鳴門の渦潮の様に渦巻いていた。
 その頃、登勢の夫岡田軍医大尉は、同僚の土井軍医大尉と厳しい寒さの三合里廠舎で診療の責任者として多忙を極めていた。一人でも多くの同胞の命を助けんものと一心に働いていた。衛生設備の行き渡らぬ廠舎。ソ連側の行き届かぬ衛生管理。不足と言うにも余りにも少な過ぎる食糧。容易に手に入らない医薬品。何一つと満足にゆかぬ悪条件の中で、彼の人間愛が、医者としての魂が、彼を仕事に治療に看護にと駈りたてていた。食塩注射に使う食塩水も水を蒸溜して作らねばならない現状であった。
 昨年の秋(昭和二十年十月頃)毎日のように、千人二千人と隊を組んで、〃お先に内地へ還ります〃と出発して往った将校、下士官、兵士達を内地へ還すと言うのは、口実で、遠くはハバロフスク、ナホトカ、近くは鎮南浦と各地の収容所に送られて行ったのだが…。懐かしい父母の居る内地、愛しい妻子の待つ内地、故国の灯が暖かく彼等の胸に点っていて、内地帰還を信じ、喜び勇んで出発した彼等であったが……。『内地帰還』が夢幻と消えさり、異国の土と化した将兵の数は余りにも多い。(注)これは後程聞いた話であるが。
 (各収容所で使役に従事している間に、コレラ、チフスに罹り八ケ月後に再び三合里へと送還された者も沢山あった。昭和二十一年六月頃には、コレラ、チフスに加えて極度の栄養失調で、身動き一つ出来ぬ患者が増え、手のほどこし様もなく、三合里でも次々と死者が出て、日に百二十名を越える将兵が冥途へ旅立つと言う悲惨な事実もあった。)
 登勢達のぼろ官舎では、玄関の扉が壊われているので、板を打ちつけて開かぬようにしてあった。玄関の土間は食物の倉庫の代わりに使用して、西側の勝手口が出入口として使われていた。勝手口を出た右手に小さなテントを張って、かまどを築き、共同炊飯をする様に作ってあった。
 登勢達が夕方勝手口を出て、遥か西の方を見ると、何処から現われるのか判らないが、百を越えると思われる程のおびただしい数の烏が毎日現われて、空に群れ飛ぶのが見えた。登勢にはそれが、異国の地で倒れた人々の魂が烏に姿をかりて空を舞っている様な不吉な錯覚を起こさせた。夢幻と消え去った帰国を、実現する為に烏になって大空を飛んでいるのではなかろうか?。同じ様に空を見上げていた柳沢夫人が、
 「ねえ、あの黒い鳥は烏でしょう。何かと思う程随分沢山ねえ。百羽は居るでしょう。何だか気味が悪いわ。内地へ帰ると言って出て行った兵隊さん達、本当に帰っちゃったかな。まさか途中で倒れちゃったんでは無かろうね。」
「あら!。私も同じ事を思ったわ。」
上敷領夫人が横から言った。宵闇の迫ってくる薄墨色の空の彼方へ全部の鳥が姿を消すのを眺めながら夫人達の思いは同じく、何を見ても唯遣瀬無かった。
 共同炊飯の遅い朝食が済んで、登勢が朝の片付けを終えると、留里がもう自分のオーバと手袋、おんぶ紐を持って、
「母ちゃん、キー(ロスキー)とこへ行こうねえ。」と言う。けれど朝は道が滑るので、登勢達が出かけるのは大抵十時頃になった。
 登勢はその日、いつもより遅く、お昼過ぎに留里と敏夫を連れて、二百二号官舎へ行った。途中の広場も久し振りに雪が消えて、残雪が日陰の処々に冷たく溜った様に見えた。一月も後残り少なく、引揚の期日も判らぬままに出産の日を迎えねばならぬ不安を目前にひかえて、何か苛立たしい悲しみが彼女を包んでいた。
 二百二号官舎の門を入ると、ねんねこの上から吹きつける冷たい風に、肩をすぼめながら裏手のお庭へ廻った。
 登勢は一年前の今頃!。朝の厳しい冷え込みに、氷細工の様な樹氷を度々つけて、宝石の様に輝いていた小梅の樹を見たいと思った。小梅の樹が懐かしかった。樹氷は瞬時にして消えるが故に、夢幻の果敢なさを持っていた。樹氷を装った美しい小梅の樹を、最初に教えてくれた夫の消息が全然判らない今、小梅の樹を眺める事はせめてもの登勢の慰めであった。しかし裏庭にある筈の小梅の裸木も、そこにはもう見当らなかった。樹木らしい物は何一つなく、畑すら荒れ果てて、枯草を吹く北風の去来だけがあった。〃一体如何した事だろうか?〃夢幻の様に樹木の消え去った佗しい庭の風景が、刻々として彼女の胸に迫って来た。吹き抜けて行く風と共に、思い出の一こまが散って行った。
 物置のマセツク炭を、取りに出て来たマルキンが、寒空に佇んでいる登勢を見つけた。「シトオ、スインドーチ、ホロドノー、イッチドーマ・・・。」(如何したの?子供達が寒いから家へ入っておいで………)
と丸い青い瞳をくるくるさせながら、キューピーの様な顔をして言った。
登勢はそれには答えずに、
「マーリンキイスリーバ、ニエト。」
(小梅の樹が無くなっているわ。)と首を横に振った。マルキンは、いたずらっぽく首をすくめ、おんどるの煙突を指差して、
「スリーバニエト、イッチダウァイ。(梅の木はあそこから消えて無くなった)!。」
と涼しい顔をして笑った。その無邪気さにおされて、登勢は返す言葉もなく、もくもくと白い煙を吐いている煙突を見上げた。梅の樹は「炎きつけ」として煙に化けて消えてしまったのだ。とんだ「鉢の木」である。佐野源左工門常世の心の痛みなど、マルキンには程遠い事である。
 登勢は国民性の違いを感じた。人間程その環境に支配され易いものは無い。広大な森林と領土を持つロシヤ人には、樹木は育てるものではなく、伐採して使う物なのだ。資源の少ない小さな島国に生れて育った日本人が、生きて生活して行くのには、工夫と勤勉は欠く事の出来ぬ必須条件で、山には植林、畑には耕作がつきもので、植木を愛する事も生活の一部分なのだが、ロシヤ人にはその必要はない事なのだ。-------と官舎の向うに見える禿山を眺めながら登勢は思うのだった。
 空襲と度重なる爆撃で、瓦礫の荒地と化しているかも知れぬ日本!。十年間は生物はおろか草木さえも生えぬ不毛の地になったと言う広島や長崎!。けれども彼女の瞼に浮ぶのは、鮎の泳ぐ清流揖保川!。紅葉美しい最上公園、千年藤で賑う藤祭り、四季の移り変りに伴って、綿々として情緒のある故郷の風物であった。登勢は秋乙とは月とすっぼんだ-と思い、
「ホロドナ、オオチンホロドノー。(寒い大寒い)。」と言うマルキンの後から苦笑しながら官舎へ入って行った。
 掃除をすませて登勢が後片付けをしていると、クチャカアマダムが勝手口から帰って来た。暫くすると、ジープの音が門前で止った。パーシャの賑かな声がして、マルキンが呼ばれて玄関から飛出して行った。まもなくジンジャーとパーシャとマルキンが、一箱ずつ乾パンの箱を担いで玄関から入って来た。
 パーシャは肩にのせたまま、乾パンの箱をおんどるの部屋へ運んで、早速木箱を開いた中味は戦時中一戸に一袋-二箱の配給で、二回程貰った事のある乾パンである。-これは元日本軍の食糧廠から接収したソ連軍の戦利品と言う訳の物だ。ーと登勢が思いながら眺めていると、マダムが乾パンの袋を取り出して、「シトーエタ?パヤポンスキー。(これは何と言うのです?)。」と尋ねた。登勢が「乾パン」と答えるとパーシャが後を引きとって、「乾パン」「乾パン」
と繰り返した。
 乾パンの布袋をクチャカアマダムが開けた。中から乾パンと一緒に、ころころと五色の金平糖が転がり出て来た。
「金平糖?」と登勢が思わず声を出した。美しい緑や赤の可愛いい色彩や形に、留里と敏夫が眼をかがやかせて喜んだ。マダムは金平糖をつまみあげて、「シトーエタ?.(これは何と言うの?)。」
とまた登勢に尋ねた。登勢がにこにこしながら、
「金平糖」と答えると敏夫が横から一緒に、「金平糖」と言った。マダムは乾パンの袋から金平糖を選り出して、「トシシャン。ルリシャン。コンペイト。」
と手渡して、金平糖を留里の掌と敏夫の掌に乗せた。クチャカーは金平糖が珍らしかった。口に入れると甘いサハロ(砂糖)の味が広がって、目前に居る小柄な岡田奥さんの国!日本のお菓子が、未だ見たことのない日本を思わせていた。笑顔で「コンペイト」「コンペイト」と楽しそうに繰返すクチャカアの言葉を聞きながら、登勢は娘の頃、故郷の最上山の楓山で茶箱の振出しから、金平糖をころばせた野点ての茶席を思い出していた。楽しかった娘時代!。あの友。この友。誰の消息も今は知る由もない。
 登勢が廊下で帰り支度をしていると、ジンジャーが部屋から出て来た。彼はパーシャとクチヤカアに何か言った。登勢の方を見ながら、クチヤカアが笑顔で返事をした。留里をおんぶしてねんねこを羽織り、すつかり帰り支度をした登勢に近づいて、ジンジャーは未だ封を切らない乾パンの箱を指差し、持って帰る様にと言った。登勢は思いがけぬ言葉に驚いて、シンシヤーを見た。バーシヤと違って平素余り打ちとけて話をした事も無い、むっつりと部屋にこもっているシンシヤ--が、彼女に一箱全部乾パン(六十袋入)を呉れると言う。シンシヤーの真意を計りかねて、お礼の言葉も出て来ないまま、登勢はこのトルコ系と思われる色の浅黒い小柄なロシヤ人の黒髪に黒い瞳をしたカピタンを当惑げに見つめた。シンシヤーは登勢の当惑は重くて大きな木箱を持ち運べない為の心配だろうと思った。マルキンに向って乾パンの木箱を持って登勢達を送って行く様にと言いつけて敏夫を見ながら再び登勢に言った。「エタバームマーリンキー。ナイドーマイジョー……。(これを君の子供にあげる。家へ持って帰ってやりなさい。)」子供にと言う言葉に救われた登勢は急に嬉しくなった。シンシヤーの敏夫を見る眸は優しさに溢れ潤いさえ、帯び、亡き息子を敏夫の中に見ている様であった。登勢が慌てて、
「スパシーバ(有難う)」と言うと敏夫も横から「スパシーバー」と言った。始終にこにこしながら見ているパーシャの方をちらっと見て、ジンジャーは照れた様にそそくさと自分の部屋にしている座敷へと入って行った。
 登勢がクチャカやパーシャにも「スパシーバ」と礼を言うと、背中の留里が「シーバ」と言った。
「ダスビタニヤ(さよなら)」と言うと留里が「ダスビダー」と又まねをした。四時間程前に悲しみに圧しつぶされそうな心で通った道を、帰りは意気揚々と、大きな乾パンの木箱を荷担ったマルキンに送られてぼろ官舎へ帰り着いた。
 金平糖は入っていなかったが、官舎の夫人達にも配り乾パンは当分の間夕食の代用として空腹を満たして呉れた。
 登勢がカピタン、ジンジャーから貰った乾パンは、胃袋だけでなく、心まで満たして呉れた。木箱ごと貰った六〇袋の乾パンは、神の御恵と彼女には思われた。急に長者になった様な豊かな心で床についた。その夜の夢は楽しかった。神の恩寵に守られ、登勢は内地へ還った夢を見ていた。彼女が渡鮮前に住んでいた家に皆集っていた。家は舅名義の家で、表は南北の通りに面しているのだが、家の前で東側と西側に道が別れていた。道は別れたまま矢張り南北に走っているので、分岐点に道分稲荷の鳥居と小さな社が建っていた。家は通りの西側に位置して、東向に板垣と門があった。稲荷の鳥居を狭んだ同側の通りに、造り酒屋の大きな倉があった。玄関を入って東向の縁側に続く三部屋の、南も北も隣家と接している為に、少し光線が不充分であった。その為か皆の顔がぼやけて見えるのだが、夫の岡田軍医の亡父(生前何事につけても彼女をかばってくれていた死んだ舅)も元気で温く登勢を迎えてくれた。東京に住んでいる筈の妹の紀代も空襲を逃がれて、その場に居た。
 姑は可愛いい孫の敏夫の頭を撫でながら、「トシちゃん。よく還った!。よく還った!。」と言って、金平糖を手渡している。登勢は「六〇袋も乾パンを貰ったのよ。」と皆に乾パンの袋を配りながら、里の母の顔が見えないのが物足りなかった。玄関に里の母らしい人影がした。けれど人影はなかなか入って来ないので、
「早く、お母さん此方へ入って来て頂戴。」と言おうとして目が覚めた。
 〃ああ、此処はまだ日本内地では無い!。内地帰還は矢張り夢なのだ。お母さんに今少しで会えたのに、夢は破れた。〃と思った途端、急に激しい悲しみが登勢を襲って来た。夢の中でも良いから母に会いたかった。夢が楽しかっただけに、悲しみは二乗されていた。内地へ還りたい。出産迄に帰りたいと言う願いも夢幻と消え去った事を、登勢はひしひしと感じた。声をしのんで泣く登勢の頬を、滂沱と涙が流れ、枕を冷たく濡らすのだった。ぼろ官舎の窓辺にむせび音を立てながら、木枯しは吹き過ぎて行った。

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