腔の読み 番外 その8 中川恭次郎
中川恭次郎は、腔の読みを決定づけた(と私が思っている)家庭医学読本の編集者ですが、柳田国男の「故郷七十年」には彼のことが数カ所にでています。中川恭次郎は、井上通泰・国男ら兄弟とは義理の又従兄弟に当たる人物です。通泰ら兄弟の祖父は中川至といい松岡家に婿養子で入り、通泰・国男らの父である操が生まれたがまもなく離縁し、その後生野の真継家を継ぎました。しかし、実家の跡取りが急死したため、中川至の弟子が中川を継ぎその息子に当たる人物です。明治20年頃に医者になるために上京したが、文学に熱を入れ、樋口一葉や、島崎藤村を世に出した「文学界」の実質上の編集人を努めた人で、ドイツ語にも堪能であったことから、帝大(当時は東京大学唯1つ)の教授連中にも重宝がられ、ドイツ語の医学書の下訳(訳書のゴーストライター)もかなりやっていた様である。「文学界」は明治20年代後半に一時廃刊になりましたが、中川恭次郎が居宅を編集所として提供してその仕事を引き継ぐ事で再刊されるようになりました。柳田国男は「故郷七十年」に「恭次郎は何でも知っているのに医者の試験だけは通らなかった、変わった男だ」と書いている。ちなみに通泰・国男らの母は、東京に出てきて中川の家に二週間ばかり世話になった時に脳卒中を起こし、三週間後に亡くなっている。