はしがき
一、余が先考時冬博士にわかれたのは明治三十九年四月十九日であった。余が先考に対する孝養の一つは弟妹四人を育てあげることであった。それが為に、早稻田學園で學生々活を送っていだ頃から、物資をうる為に少なからす努力をしだ。されど、大正の始めから、不幸は頻繁に.余の肉親を襲った。長妹玉菜子は堀田伯の本家をつげる堀田正郁氏に婚約ととのい式を挙げる敷月前に死歿し、末妹千浪子は淑徳高女へ入學早々此世をさった。続いて母上が脳溢血におかされ、言語不通となった。しかも不幸の襲來は猶止まずして、長弟秋野は早稻田大學商科卒業試験一ケ月前に死亡し、余が長女猪右衛門之尉登美子、長男春時、相ついで此世をさった。かくして、余が肉親は、病になやむ母上、末弟冬海、妻女秀子、次男光春ε余の五人のみとなった。余は、冬海の大成をのみ日夜こいねがった。
一、冬海は大成中學、東洋商業の業を終えて能樂寳生流宗家重英師に入門し能樂の研究に從事し、傍ら余が開係せる能樂新報、野球界雑誌に關係して余を助けてくれていた。然るに天なんぞ無情なる。余が最愛の弟冬海をうばいさらうとは余は片腕をもぎとられた心地して、云いしらぬ淋しさを感じている。一、冬海は生前余に、能樂全史(龍吟肚より登行)の再刊行をすすめてくれだ。イマ冬海の盤に手向けるには、能樂全史を再刊行することが一番よいと信ずるが、大改訂をなすことであるからして、それは一朝一夕の業ではない。ここに於いて余が研究をつづけている能面に関する、小編を弟の雲に手向けることとした。これ余がこの小冊子を刊行するに至った所以である。
一、最近冬海は健康を害していたが、頗る元氣で、「氣候さえよくなれば」とそれのみ樂しみにしていた。
八月二十九日、……何となく弟のことが気にかかるので、妻女秀子を見舞いに出した。冬海も非常に喜んだとのことである。この日夕刻突如心臓に異常を呈し、人事不省に陥ったので大騒ぎになった。幸い高橋博士來診せられて、注射の効に意識を快復したが、「容易ならぬ容態」との宣告をうけて一同おどろき騒いだのであった。
余が家へも電話で急變を知らして来たが、余は折ふし不在であつた。午後九時頃帰宅して、この報をきき、とりあえず車を命じて、千葉縣市川町眞問の弟の家へ急行した。車は月光をあびて千葉街道を全速力で走った。この時ばかりは、全速力で走る自勤車が「のろく」感ぜられた。
冬海は余の訪問を心から喜んだ。「秋にもならば、元気快復するであろう」と思っていた矢先「今夜一晩もつかどうか」と聴かされた時には、断腸の思いがした。冬海は、
「自分は病氣については森國手を信じているから少しも心配しないが、どうもむつかしくはないかと云う氣がする」と語り、
「自分は藝道修業の半ばで、師の恩にも報いず、母の恩、兄の恩に報いることが出來ないのが残念だ。何とかして、イマ一度丈夫になりたい。
自分としても、病に苦しんでいる母上に別れてゆくのがつらい」
とも語った。叔母に向つては。
「母上は兄さんがついているから、安心だが、澄子(冬海の妻)が路頭に迷うようなことがあってはと夫れも心にかかる」
とも語った。これだけ語り終って安心したものか、死に直面して憶したる態度は見せなかつた。
三十日の午前零時二十五分、冒が見えなくなってきた」と言うを最後に、この世をさった。月光は、弟の病室にさし込んでいる。弟の机の上には、恩師寳生重英氏の写眞と野球界九月號が飾られてあつた。彼が二十八日迄記しておいた日記の中には「森國手の恩に感泣した」との記事があつた。
感慨無量! 冬海の元氣な姿が今もなお余が脳裏に深くきざみ込まれている。
一、余は六歳にして、酒と煙草を愛した。それが習慣となって、今猶酒と煙草と奇しき縁を結んでいる。かへり見れば、余は大酒の為に幾多の失敗をくり返しだ。弟冬海は、余の大酒を心配して切に節酒をすすめてくれた。その弟も余に劣らぬ大酒家であつた。余は弟と永き別れに際して、節酒を誓った。恐らく弟の霊も喜んでくれるであろう。
余は日夜盃にむかう毎に余の姿が盃中に浮かび出づる心地して感慨無量である。
昭和三年十月十八日五十日祭の日
横 井 春 野
能面史話
目次
第一章 面の歴史………………………………(一)
第二章 作家の研究……………………………(三六)
第一節 前期…………………………………(三八)
(イ) 福原文藏の時代
…………………(三八)
(口) 赤鶴の時代………………………(四二〉
(ハ) 福來石王兵衛の時代…………… (四九)
第二節 後期…………………………………(五四)
(ニ) 三光坊の時代……………………(五四)
(ホ) 河内是閑の時代…………………(六一)
(へ) 友水の時代………………………(八一)
(ト) 友水以後…………………………(八三)
第三章 鑒識……………………………………(八五)
第一節 鑒識の意義…………………………(八五)
第二節 古の目利き家…………………………(八六)
第三節 鑒識の養成…………………………(八七)
第四節 彩色…………………………………(九0)