ようこそ!吉田秀夫です。徳島大学で歯科の中の口腔外科を担当していましたが、2007年4月より新設の口腔保健学科・口腔保険基礎学講座に異動しました。2011年3月停年退職し、今に至っています。

  

2000.5.14 開設 2000.6.18更新 2001.1.2更新  2003.12.30更新  2008.2.10更新  2014.9.13更新

徳島に住んで30年、育った播州(福崎町、姫路市)、青年期の阪神地方、岡山での1年、微妙に違い、又それが面白く、それぞれの地域の文化、文明、風土を少しでも理解できたらと!

腔の読み

口腔「こうくう」、鼻腔「びくう」、腹腔「ふっくう」、これらはいずれも医学用語ですが、国語辞典では「こうこう」、「びこう」、「ふっこう」が正しいとされています。何故違う読みがあるのかを調べましたら、故郷の播州・福崎の先賢「井上通泰(柳田国男の兄)」に行き当たりました。「こうくう」、「びくう」、「ふっくう」が歴史的に言語の点からも正しいことを、医療関係者、言語学者、動物学者に読んで理解していただけたら(かなり長い)。腔の読みを見る

腔の読み 番外 

腔の読みを調べる過程で判ったことや関連する事項、人物についてまとめました(実はまとまっていません)。

番外その1 腔腸動物   番外その2 空即是色   番外その3 鼻の腔(おとぎ草紙)   番外その4 南腔北調集   
番外その5 南腔北調集(原文)   番外その6 百姓読み   番外その7 明治の医者   番外その8 中川恭二郎   
番外その9 井上通泰    番外その10 銃器の腔

趣味の部屋

中学時代に始めた能面打ち、仏像彫刻、  中学・高校でのバスケットボール、  大学で始めたノルディックスキー
それに観世流謡曲、これらのいずれも大学卒業後は仕事に追われてご無沙汰。50歳を過ぎて少しずつ昔を思い出し……。

読書

大学生の頃にサン・テグジュペリの「星の王子さま」に出会い、フランス語の原典を読みたくなってフランス語も勉強したが、本番のドイツ語の単位が怪しくなって、フランス語はあきらめた。北 杜夫氏が朝日新聞の読書欄で「40、50歳を過ぎないとこの本の真意は分からない」というような意味のことを書かれていたが、同感!。内藤濯氏の日本語訳は名訳ですが、惟一点、petit(小さい)を「星」にしたのは間違い。これは絶対「小さな王子さま」で、星から来たから「星の王子さま」では子供向けのファンタスティックな童話と思われてしまう。petitはまさにアメリカに亡命していたサン・テグジュペリの心境だったのだから。

家族
家内はコーラスとテニス、木彫が趣味、最近はコーラス、テニス、木彫から遠ざかり、謡曲そして小鼓へ。

1998年1月28日、明石大橋開通イベントで小沢征爾氏指揮の「第九・合唱」演奏会、左端から6人目のバイオリン弾きが長男、女声合唱の前から3列目・中央から4人目が家内。だそうな。

「故国の灯」
戦後も間もなく70年。母・吉田和乎著「故国の灯」を紹介します。北鮮(現在の朝鮮民主主義人民共和国:北朝鮮)の平壌郊外の秋乙から38度線を越えて、引き揚げてきた体験を基に30年前に自費出版されたモノです。
故国の灯に出てくる「三合里収容所」では一時、3万人以上の日本人将兵が収容されてシベリアへ送られ、厳寒の地で栄養失調や病気になり、移送可能な病人は「三合里」に戻され、そこで千人以上の方が亡くなられています。国交も無い現在、墓参もままならず、関係者の高齢化に伴い、亡くなられた方を知る者や遺族にとり残された日々は少なくなっています。関係者有志の方が自費出版された「三合里収容所小史」を許可を得て掲載します。

播磨風土記を播州弁で読む試み

腔の読みを調べていて、故郷の先賢・井上通泰、その弟松岡静雄に行き当たりました。この兄弟は別個に「播磨風土記」の解説書を出版しています。通泰は学術的ですが、静雄は子ども向けの読みものとしています。小生もこれに習い、播磨風土記を昭和期の播州弁で読む試みをしました。

 賀古の郡(加古川市、加古郡)印南の郡(加古川市、高砂市、姫路市大塩・的形・別所)、   飾磨の郡(姫路市・飾磨郡夢前町)、 
揖保の郡(龍野市、揖保郡、姫路市西部)、   讃容の郡(佐用郡)、   宍禾の郡(宍粟郡)、    神前の郡(神崎郡、姫路市北部)、 、 
託賀の郡(西脇市、多可郡)、   賀毛の郡(小野市、加西市、加東郡)、    美嚢の郡(三木市、美嚢郡吉川、神戸市北区)、 
明石の郡(明石市・神戸市垂水区・西区)、 赤穂の郡 

播磨風土記の謎・その1「荒ブル神」の正体は?。その2「ヤマトタケルは何故出てきいーひん」。古代史に素人のアバウトな仮説ですが、専門家は殆ど言及していないので、大胆な仮説を立てました。

松岡五兄弟 福崎が生んだ民俗学者・柳田国男とその長兄・鼎、次々兄・通泰、弟・静雄、末弟・輝夫(映丘)の五兄弟についての紹介。福崎町辻川には松岡家顕彰会記念会館が有り、その敷地内に「生家」が移築されています。柳田国男が後年「故郷七十年」で”日本一小さな家”と言い、「この家の小ささ、という運命から私の民俗学への志も源を発した」と述べている家です。そこで問題。この家の大きさ(建坪)は次のどれでしょう?A 約15m2、B 約25m2、C 約35m2、D 約45m2、E 約55m2 答えは松岡五兄弟で(m2:平方メートル)

琴陵中学時代の恩師・吉田 實先生は、姫路市砥堀の在、琴陵中学校、東光中学校、広陵中学、家島中学、で教鞭をとられ、水上小学校の校長を最後に退任されましたが、郷土誌「ふるさととほり・有明」を編纂されました。有明と聞いても姫路在の人も殆ど知らないでしょうが、現在、増位山と呼ばれている山の東の最高峰が有明の峰です。有明の名前は奈良時代からの由緒有る地名ですが、最近は殆ど知る人はありません。私も「ふるさととほり・有明」を読むまで知りませんでした。吉田 實先生の許しを得て、「ふるさととほり・有明」を掲載しました。

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